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昭和56年に父の後を継いで、鍼灸院の経営を始めました。
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治療スタッフも障碍者を中心に30名以上雇用して、県内一の大きな治療院になりました。
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平成15年、佐賀県身体障害者雇用促進協会より障碍者の雇用に貢献した事を評価され、表彰されました。
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また、平成17年障碍者の雇用を積極的に行った事を評価され、厚生労働大臣賞を受賞しました。
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平成5年、自分史(誰かが助けてくれた)平成6年(続・誰かが助けてくれた)を出版しました。
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いずれの本も、私の体験を書いた作品で、多くの人に読んで頂きました。
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平成14年(長崎・東京二人三脚夫婦旅)を出版しました。この本は夢のNHK紅白歌合戦の出場を実現する為に、夫婦で三か月かけ、長崎から東京までの1300キロを歩いた時の出来事を書いた作品で、当時の佐賀県知事の井本知事に推薦文を書いて頂きました。
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平成10年、低迷している嬉野温泉を活気づけたいと思い、ボランティアのチンドン宣伝隊を結成し、県内外のお祭りやイベントでちんどんパホーマンスを行い、嬉野温泉のPR活動をしました。
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また、大型バスを貸し切って長崎から東京までの高速道路のパーキングエリアで、嬉野温泉の大PRをしました。幸い多くのマスコミに取り上げて頂き、嬉野温泉のPRが出来ました。
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平成11年には、韓国に海外遠征をして、嬉野温泉のPRをしました。
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また、嬉野町をテーマとした(ちんどん嬉野極楽音頭)と(肥前嬉野恋の町)の二つの曲を作り、キングレコードの女性歌手に歌って頂きました。
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平成14年11月、九州盲導犬協会より盲導犬アロマを貸与して頂き、盲導犬との生活が始まりました。
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ところが、盲導犬との生活が始まり、盲導犬に対するバリアがある事を知りました。特に、宿泊施設や飲食店での入店拒否でした。私はこの現状を何とかしたいと想い、平成15年6月、妻と盲導犬の三人で全国47の都道府県の知事を訪問して、身体障碍者補助犬法の周知徹底をお願いしました。
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また、平成16年、佐賀県49の市町村を訪問し、各地区の首長に盲導犬の理解と支援をお願い致しました。幸い、いずれの県の知事も市長も盲導犬への理解を示して頂き、新聞・テレビの応援を頂き、少しづつバリアが取れて参りました。
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また、県内50か所以上の小学校を訪問し、盲導犬のふれあい学習会を行い、子供たちに盲導犬の現状を伝えました。
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また、不足している盲導犬を増やす為の各地での街頭募金を8年間行い、盲導犬10頭分の育成資金1600万円を集め、財団法人 九州盲導犬協会に寄贈し、視覚障害の方10名に盲導犬を届けました。
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平成11年嬉野をPRする為に(ちんどん嬉野極楽音頭)と(肥前嬉野恋の町)の二曲の作詞をしてキングレコードの女性の歌手に歌ってもらいました。
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平成28年(湯の町嬉野しのび宿)平成30年(嬉野夢咲音頭)のCDを四万枚作り、全国に配りました。歌の力はとても大きく、思った以上に町のPRに成ります。
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過去にも歌のヒットで、まったく知られていない地区が注目され、全国から沢山の観光客が訪れ、町が発展した所もあります。私はこの嬉野市で育てて頂きました。大好きな嬉野市を、九州一、いや、日本一の観光地にしたいと思い、嬉野のPRソングを作っています。
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