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岸川美好の最新情報

2024年11月26日

今年七つの作品が出来ました。

春に四曲の作品 秋に三曲の作品が出来ました。

私の場合作り出したらたてつづけに作品が出来ます。

今年は男女ふたりで歌う歌を6曲 男性一人で歌う歌を一曲 合計7曲作りました。

曲名は (1)俺の女房になってくれ (2)ふたりの愛に乾杯 (3)花が咲く (4)星フル夜のショータイム (5)七十をすぎて (6)愛は永遠に (7)生きる 以上の 7曲です。

昨年も7曲作りました。現在までに約200曲の作品が出来ました。

私の作品の八割は自分の作曲です。二割が他人の作曲です。詩は100%私が作っています。

まず、詩を書きます 次に作曲をします 次にアレンジの先生にアレンジをお願いします。

作品が出来ましたらスタジオで吹込みをします。そして、作品が完成します。

作品づくりだけは年をとってもできそうですので死ぬまで歌づくりは続けたいと思っています。

今回作った曲は来年の1月ぐらいに吹込みをして完成させたいと思っております。

歌づくりはとても良い事です。

なぜなら歌はいつまでも残ります。たとえ死んでも歌だけは残ります。

自分の生きた証の為にもこれからも歌づくりをしていきたいと思っております。

2024年11月23日

観光地のホテルは週末だけ、都会のホテルはビジネス客や観光客でいつもホテルはいっぱいです。

所が、嬉野の様な観光地は週末 金曜日 土曜日などの休前日しかお客様は来ません。

ですから、平日はどこのホテルも比較的空いています。

当館の11月は3日 16日 23日の前後の日だけお客様がこられました。あとは、一日に一人か二人しかこられませんでした。

当館は私達夫婦と掃除をする人と三人ですからあまり人件費がかかりませんのでお客様が少なくてもなんとかなっていますが大きいホテルは大変だと思います。

なぜなら、平日の少ない日でもフロント係 調理の係 掃除の係といろんな人が働いています。

週末などの休前日は沢山のお客様で売り上げも上がって儲かりますが平日はむしろ赤字ではないかと思います。

一週間の内に儲かる日が3日 赤字の日が四日 これが観光地のホテルの現状ではないかと思います。

嬉野温泉も以前は70軒以上の旅館やホテルがありましたが現在では30軒ぐらいになりました。

特に、大きなホテルが軒並みに潰れて県外の企業が建物を安く買って経営をしています。

以前の嬉野温泉のホテルは地元の人がやっていましたので人と人のつながりがあり、いろんな事を協力しあっていました。

ところが、現在はよその地区からただ、儲けるだけの目的で来ている為に自分の会社だけの事しか考えていません。

ですから、みんなで協力して何とかこの町を良くすると言う様な事が出来ていません。

嬉野は観光の町です。

観光客が来ないと町は発展しません。

観光客を増やすには町のみんなが協力しないと発展はしないと思います。

2024年10月6日

初めて自動運転のバスに乗りました。

2024年10月5日より二週間嬉野の町を自動運転のバスが走りました。

出発はJR嬉野温泉駅で、市内八カ所の臨時バス停に止まり終点の嬉野温泉駅までです。

約50分間の貴重な体験でした。スピードは約20キロでゆっくり走っていました。

定員は10名でその中の一つが運転席にあたる席です。運転席と言ってもハンドルも無く正面にモニター画面があるだけです。

座席はこの字型で前の席は三席で後ろを向いて座ります。後ろの席は四席で前を向いて座ります。前の席と後ろの席の間に横向きの席が二つありました。

今回はテスト運転で運転席に運転手が乗っていましたがなにもしていませんでした。

前の席にはバス会社の職員さんがお客様に感想など聞いていました。

バスの乗り降りはバス停でスマホを操作してバスのドアーをあけてもらいます。全てスマホで操作します。

今回、初めて自動運転の車に乗りましたがとても乗り心地は良く、不安はまったくありませんでした。

速度も20キロとゆっくり走っていましたので怖い感じは全くありませんてした。

今、いろんな地区で自動運転の車のテストが行われています。おそらく、来年あたりは、自動運転の車がいろんな地区で走ると思います。

人が運転するより、安全な乗り物になると思います。

私は、以前から目の見えない人の移動の為に自動運転の車があればヨイナーと思っていました。

車に乗って行先を言えば目的地までつれて行ってくれる車があれば目の見えない人も自家用車が持てるのにと思っていました。

そんな夢の様な事が夢ではなく現実になる日もそんなに遠くではなくなると思います。

こんな素晴らしい車を作る人間の能力は素晴らしいと思います。

2024年10月1日

アロマの足湯を作りました。

通常足湯は水槽の中にお湯を貯めて数名で利用するのが普通です。

嬉野にも市営の足湯が三カ所あり旅人の憩いの場所になっています。

当館も昔鍼灸治療院をやっていた頃二階の待合室に数名入れる足湯(アロマの足湯)を作っていました。

足湯はお湯を使う為に湯気が天井に上がる為に室内に湿気が多くなるので家の為に良くないと思い数年で足湯を廃止しました。

今回はベランダに作りましたので室内ではありませんので安心です。

当館の二階のベランダは横幅が5メートル 幅が90センチぐらいの小さなベランダです。

この狭い場所になんとか作りたいと思いいろいろ考えた結果お一人様用の足湯を四つ作りました。

お湯を入れる為にホームセンターに行って手頃な箱を探しました。幸いとても重宝な箱がありました。

大きさは横幅 66センチ 奥行 40センチ ふかさ 36センチのポリの箱がありました。

商品名は(カクタライ)1400円でした。

しかも、箱の下に水を抜く栓がついており使用後のお湯を捨てるのにとても便利な箱でした。この箱の中に嬉野温泉のお湯を入れて足をつけます。

座席は細目の椅子が三個ありましたのでこれを利用する事にしました。

お湯はベランダに屋外用の流し台があり嬉野温泉のお湯が引いてありましたのでホースでお一人様の足湯の箱にお湯を入れて出来上がりです。

初めに42度ぐらいのお湯を入れて利用してもらいます。約15分ぐらいたつと少しお湯の温度が下がりますので熱いお湯をつぎ足します。

足湯の時間は約30分ぐらいて、とても気持ちが良くなります。

使用後は足湯の箱の栓を抜いてきれいな水で足湯の箱を洗って次の人の準備をします。お一人ごとにお湯を変えますのでとても衛生的で喜んで頂いております。

特に、夜の足湯は最高です。

屋外ですから涼しい風の中で足元だけはあったか気分お友達との楽しい時間も気持ちよく過ごす事が出来ます。

本来お泊りのお客様の為に作りましたがお泊りでないお客様にも解放しています。

ぜひ、嬉野温泉に来られたらアロマの足湯に浸かりに来てくださいませ。

とてもいい足湯です。

2024年8月23日

私の作品をユーチューブで聴いてください。

私が作詞 作曲などの音楽活動を開始したのは2000年で約25年に成ります。作曲はいろんな人に作って頂きましたが作詞だけは全て自分が作りました。

以前は、CDを販売して聴いて頂きましたが最近はCDでは無くユーチューブで聴く事が出来る様になり、CDが売れなくなりました。

ユーチューブはパソコンでもスマートホーンでも聴く事が出来しかも無料で聞く事が出来とても便利な物です。

以前はレコード 次にカセットテープ さらにCDと変化して来ましたが最近ではCDも終わりにちかずいてきました。

現在、私の作品がユーチューブに100曲以上アップされています。

歌を聴くには、ユーチューブを開いて岸川美好と入れてもらうといろんな歌が出て来ます。

ぜひ、ユーチューブで私の作品を聴いてくださいませ。

また、このHPにも岸川美好作品集と言うコーナがあり曲名をクリックすれば全ての作品を聞く事が出来ます。

ぜひ、聴いてください。

2024年8月20日

岸川美好のブログを見てください。

昨年10月より岸川美好のブログ(宿のおやじ日記)を書いております。内容は私が思った事、体験した事などを正直に書いた物です。

現在は私の著書「誰かが助けてくれた」の本の文章を書いております。

以前は本を読むには本屋さんに行って本を買ってこなければ読む事が出来ませんでした。今は、スマートホーンなどで簡単に読む事が出来てとても便利になりました。

また、ブログなどの便利な物が出来て自分の思いなどを伝える事が出来ます。とても良い時代になりました。

私は今までに三冊の本を書きました。

平成5年「誰かが助けてくれた」 平成6年「続誰かが助けてくれた 心をみつめて」 平成14年「長崎東京二人三脚夫婦旅」の三冊を出版しました。

誰かが助けてくれたと続誰かが助けてくれたは私の半生を書いた物です。長崎東京二人三脚夫婦旅は夢のNHK紅白歌合戦の出場を願い長崎から東京までの1500キロの旅日記です。

出発は平静14年1月15日 ゴールの東京は4月19日で三か月間の旅の出来事を書いた物です。この間、いろんな人に助けて頂き1500キロの旅の出来事を書きました。

ブログのおかげで知らない人が本を読んでくださり本当に良かったと思っております。このブログもこのHPにリンクしておりますのでぜひ、私たち夫婦の思いと生き方を見て頂ければ幸いにぞんじます。

2024年8月10日

ラジオのパーソナリティーを始めて20年がたちました。

平成16年 全国放送のラジオ局JBS日本福祉放送のパーソナリティーを始めました。そして、今年で20年がたちました。

番組名は、岸川美好と洋子の九州からこんにちは」と言う番組です。

放送時間は毎日昼3時から3時30分までと夜8時から8時30分までの二回の放送です。

二週間に一度自宅で番組の収録をして放送局に送っていました。7年前から友人の鍋島敏明さんが加わって三人でワイワイやっています。

全国放送ですから北は北海道から南は沖縄まで放送されています。

時々ゲストの歌手も出演してくれます。内容はその時どきの話題や私の作品をかけています。

以前は私が編集をしていましたが今は鍋島さんが変周をしてくれていますのでとても助かっています。

いつまでやれるかはわかりませんができるだけ長く続けていきたいと思っております。

2024年7月28日

カラオケ喫茶アロマを閉店しました。

10年前に武雄市の西川登町と言う所にカラオケのお店をオープンしました。

古い民家で70年以上たっており建物はボロボロでとても住める様な状態ではありませんでした。

妻がどうでもこの物件がほしいと言いましたのであまり乗り気ではありませんでしたがしぶしぶ買う事にしました。

場所は嬉野市と武雄市の真ん中で国道34号線に面しており私の家から車で10分で行く事が出来ます。

面積は土地が100坪 建物が35坪の平屋です。物件の価格はとても安く買う事が出来ましたが建物がボロボロでリホームに大きなお金がかかりました。

何かビジネスをしようと思いいろいろと考えた結果治療院とカラオケ店をしました。

カラオケは唄い放題で 500円でしました。特にPRはしませんでしたが目立つ場所でしたのでいろんな所から唄いに来られていました。

その後、嬉野の本通りに古い建物が売りに出ましたので購入してカラオケの二号店を作りました。

半年後、武雄の一号店を閉鎖して嬉野だけにしました。

四年後コロナの為にお客様が来られなくて三年間閉店していました。

昨年1月嬉野の岸川ビルの二階でカラオケ店を始めました。

以前のお客様が少しづつ戻って来てくれましたが以前の様なカラオケブームはコロナの影響で終わっておりビジネスにはなりませんでした。

カラオケのお店は大きく分けてカラオケ喫茶とカラオケボックスがあります。カラオケ喫茶はいろんな人が集まりみんなで交代で歌います。カラオケボックスは貸し切りで仲間が集まり唄っています。

カラオケ喫茶は比較的高齢者が多く、70歳以上の人ばかりです。歌も演歌が中心で若い人の歌と全く違った歌で若い人はあまりカラオケ喫茶には来ません。

その為に年々お客様が少なくなりどこのカラオケ店も厳しい経営をしています。

後5年もたてば今のお客様が80歳以上になりカラオケに行く人が少なくなり多くのカラオケ店が経営が出来なくなるのではないかと思います。

こんな理由で今年の7月で閉店をする事にしました。

今回、10年間の最後のイベントとして7月28日にカラオケアロマお別れ会をしました。

今まで来られていたお客様が多く集まってくださり楽しいお別れ会でした。それぞれが自分の好きな歌や得意な歌を楽しく歌っておられました。おかげで私のオリジナル曲も皆様唄ってくれました。

今年7月に昨年作りました「命」と「道」がダムの通信カラオケに配信されましたので配信を待っておられた方が嬉しそうに歌っておられました。

また、今年作りました作品3曲をお客様同士で唄って頂きました。

今まで、コロナの影響で何度か閉店したりオープンしたりしましたが今回で本当にカラオケの営業を終了する事になると思います。

現在どこのカラオケ店も厳しい経営をやっています。現在のカラオケ店の料金は平均1000円ぐらいです。安いお店は、500円ぐらいでやっているお店もあります。

人数は平均一日に10名ぐらいです。少ないお店は5名ぐらいの所もあります。

一日の売上は 1000円のお店で約10000円 一か月で一日も休まず営業しても約300000円しか上がりません。一日に5名しか来ないお店なら一か月で約150000円しか上がりません。

経費は店舗を借りていたら家賃が50000円 カラオケの機械のリース料が約50000円 ジャスラックの支払いが約3000円合計で一か月約100000円かかります。

人を雇えば最低でも一か月に150000円はかかります。

これに電気料 水道料 飲食物など加えれば毎月200000円ぐらいは赤字になります。

今、どこのカラオケ店でも厳しい経営をしています。いずれ閉店するお店が増えてくると思います。

カラオケは高齢者にとってとても良い健康法です、

カラオケに行っているお年寄りはカラオケに行っていない人に比べて元気です。

カラオケに行っている人はあまり病院に行きません。勿論薬もあまり飲みません。ですから医療費もあまりかかりません。

大切なカラオケ店を守る為には、国がカラオケ店に補助金を出して守ってやるしかありません。

医療費に回すお金を少しカラオケ店に回すだけでカラオケ店がやめなくて良いと思います。

何か、手を打たないと数年後は全国のカラオケ店が半分以下になると思います。

ぜひ、カラオケ店に補助金を出して上げてくださいませ。

2024年6月15日

本日、私たち夫婦55回目の結婚記念日でした。

娘 美香と孫三名と佐賀のフランス料理のお店で食事をしました。

娘と孫がお祝いと言ってそれぞれ私たちに心のコモッタ祝い金をくれました。とても嬉しいプレゼントでした。

昭和44年6月 妻の両親の反対を押し切って結婚しましたが何とかここまで来る事が出来ました。

後何年 生きる事が出来るかは分かりませんがこれからは無理をせず静かに生きて行こうと思っております。

2024年6月5日

新曲の吹込みにいってきました。

昨年(2023年)は7曲の歌を作りました。
幸い通信カラオケのダムに3曲配信されました。

今年 5月に久しぶりに三曲の歌を作りました。曲名は「おれの女房になってくれ」「ふたりの愛に乾杯」「花が咲く」の三曲です。

いずれの曲もデュエット曲です。

私たち夫婦 昭和44年6月15日に結婚しました。早い物で今年で55年になりました。その結婚55年を記念して作りました。

作詞 作曲は私 岸川美好で歌は岸川美好と妻の洋子が歌っています。

「おれの女房になってくれ」と「花が咲く」はいずれも夫婦演歌です。
「ふたりの愛に乾杯」は男女のラブソングで歌謡曲です。

歌の吹込みは6月5日に武夫氏のインプットと言うスタジオで吹込みをしました。今回初めての吹込みでしたがとても親切で素晴らしいスタジオでした。

今までは福岡のスタジオで吹込みをしていましたがゲストハウスをオープンした為に福岡まで行く事が出来ず近くにスタジオがないかと探していましたら近くの武夫市にありましたので吹込みの相談をして予約をしました。

自宅からスタジオまで約20分で行く事が出来ました。朝10時にスタートして昼12時半に終了しました。

これからも気の向いた時に作品作りをしたいとおもっております。

2024年6月1日

岸川美好のブログのご案内

昨年10月に嬉野温泉でゲストハウスをオープンしました。

名前は「ゲストハウス アロマ」と言う小さなホテルです。
嬉野温泉のど真ん中でとても立地の良い場所です。

料金は一泊4500円で嬉野温泉の宿泊施設の中で最も安いホテルだと思います。

それに伴って新しいホームページを作りました。新しいホームページの名前は、「ゲストハウス アロマ」です。

その中に「宿のおやじ日記」と言うブログを作りました。ブログの名前はアメーバブログです。

内容は、私共の日々の出来事や過去の出来事 また、私の著書「長崎東京二人三脚夫婦旅」「だれかが助けてくれた」など本の中の文章を抜粋して書いております。

このHPの「岸川美好のブログ」から飛ぶ事ができます。

ぜひ、そちらも読んでくださいませ。

2024年4月5日

オリジナルのCDの製作

今年 2024年1月に ダムの通信カラオケに私の曲が配信されました。

曲名は「涙と夢をみちずれに」と言う曲です。昨年作りました7曲の中の一曲です。

今年3月に開催致しました「第三回 岸川美好歌謡選手権」」の課題曲になりました。皆様とても熱心に練習しておられました。

今年6月ぐらいに二曲ダムの通信カラオケに配信される予定です。

曲名は「命」 「道」の2曲です。

命 と 道は、人の生き方 人の考え方を書いた作品で私の自信作です。

今回、運良くダムの通信カラオケに配信される事が決まりとても喜んでおります。なぜなら、歌のヒットは通信カラオケに配信されないと絶対にヒットしないからです。

多くの人は、カラオケボックスやスナックで唄っておられます。

カラオケボックスやスナックにはCDやカセットをかける機械はありません。

全て通信カラオケだけしかありません。人に唄ってもらうには、絶対に通信カラオケに配信してもらうしかありません。

今年私の曲が3曲も配信されるのはすごい事です 奇跡です。でも、いくら通信カラオケに配信されても歌を知らないと誰も歌ってはくれません。

その為にまずは、歌を憶えて頂く事が大切です。歌を覚えて頂くにはCDを何度も聴いて頂く必要があります。

本来CDはレコード店で販売しています。昔はCDも沢山売れていました。ところが、最近ではCDは売れなくなりました。いろんな方法で歌を聴く事が出来るからです。

CDをレコード会社から発売しようと思うと二曲入りで1300円ぐらいかかります。

好きな歌い手の曲なら1300円出しても買ってくれるのですが私達の様なローカル歌手のCDは中々売れません。

私はCDの販売は全くしてはいません。理由は簡単です、販売しても売れない事を知っているからです。

デビュー当時はCDを沢山売りました。CDを買ってもらうのはとても大変です。いろんな所に行かないと売れません。いろんな所に行くにも費用と時間がかかります。

私は、いくら頑張っても売れない事を知っています。ですから、CDの販売はやめてCDを配る事にしております。

CDを配るには出来るだけ安く作らないと沢山配る事が出来ません。レコード会社に頼むと一枚1300円ぐらいかかります。おろしで買っても900円ぐらいかかります。

例えば100枚配れば90000円 1000枚配れば900000円もかかります。例え1000枚配っても聴いてくれる人は一割もいません。

ですから、多くの歌手はCDをタダで配る人はだれもいません。だからあまり広がりません。

私は、自分でオリジナルのCDを作っています。出来るだけ安く作る工夫をしています。

一回に、3000枚ぐらい作っています。cdをコピーしてくれる会社にcdを頼み 歌詞カードを作る印刷やさんに印刷を頼みcdを入れる袋を頼み自分で組み立てています。

ですから、cdを組み立てる時は自宅が工場になります。人に頼むと人件費がかかりますので全て私 一人で組み立てています。今までに5万枚ぐらい作りました。

病気で入院した時も病室にcdを持って行きベットの上で組み立てていました。看護婦さんは少しいやな顔をしていましたが気にせずやっていました。

今回、新曲の涙と夢をみちずれに 命 道の三曲を入れた16曲入りのcdを3000枚作っています。出来上がったらいろんな人にお願いして配ってもらいます。

そして、憶えて頂きカラオケで唄って頂きたいと思っております。

地道な努力がいずれヒットにつながると信じて頑張ってcdを組み立てています。

CDが出来ましたら歌仲間にお願いして配ってもらいます。

2024年3月18日

第三回岸川美好歌謡選手権を開催しました。

本日、3月18日 カラオケハウス アロマにて第三回岸川美好歌謡選手権を開催致しました。

参加者は21名で佐賀県と長崎県の歌好きの人が集まりました。

この大会は、私 岸川美好の作品を課題曲として歌のチャンピョンを決める大会で、今回で三回目になります。

今回は、昨年作りました「岸川美好デビュー25周年の記念曲「涙と夢をみちづれに」が課題曲で参加者全員がこの歌を唄いました。

昨年4月に第一回 8月に第二回の大会を行い今回で三回目になります。

前回までは通信カラオケの採点機能を使って点数の高い順に第一位 から第三位まで決めていました。

今回からは、通信カラオケの機械の審査では無く私の耳が審査をする事にしました。

昼12時に集合してみなさんとお弁当を食べて12時30分より第一部の課題曲を唄って頂きました。

皆様とても素晴らしい歌でした。

第二部では自由局でお好きな曲を唄って頂きました。

審査の対象は課題曲のみで自由局は審査の対象にしませんでしたので皆様リラックスして唄っておられました。

審査の結果は優勝が松尾博文様(長崎県) 第二位 内田政人様(佐賀県) 第三位 浜道伸光様(長崎県)です。

また、最優秀歌唱賞が 谷口邦子様(長崎県)でした。

また、惜しくも入賞されなかった方で特に歌唱力のあった方に優秀歌唱賞を贈りました。

普段皆様の歌を聴いているのですがこの様な大会では皆様の歌がとても力強く聴こえてきました。

やはり歌の上達は大会で競う事が必要だと改めて感じました。

次回の第四回岸川美好歌謡選手権は 2024年7月8日に開催致します。

次回の課題曲は私の作品でダムの通信カラオケに配信されている17曲から一曲を唄って頂きます。

毎年、3月 7月 11月の三回 開催を予定しています。

2024年3月10日

新しいホームページを作りました。

昨年11月に嬉野温泉のど真ん中にゲストハウス アロマをオープンしました。

鉄筋四階建てのビルで以前は岸川鍼灸院の治療院でした。

一年前から空き家に成っており解体か売却を考えていました。

解体の会社に見積もりを取りましたら一番安い所で 1600万円以上かかるとの事でした。

次に売却をしようと思い不動産屋に申込をしましたがなかなか売れませんでした。解体も出来ず売る事も出来ませんでしたので使う事にしました。

どんな、ビジネスが良いかいろいろ考えた結果カラオケハウスとゲストハウスをする事にしました。

カラオケハウスの営業は許可はいりませんがゲストハウスは旅館営業の許可が必要で大きなハードルがありました。

なんとか、旅館営業の許可が貰えましたので2023年11月にオープンしました。

ところが、肝心なお客様が全く来てくれません。

飲食店やおみあげ店は観光客が看板を見て入って来るのですが旅館やホテルは来る前に予約をして来るケースが多く当日の申し込みはあまりありません。

やはり、来る前に施設のPRをしなければいけないと思いホームページを作りました。

ホームページの名前は ゲストハウス アロマです。作った頃はゲストハウスと検索しても中々ヒットしませんでした。

最近になって 嬉野 ゲストハウスと入れると一番初めに出て来るようになりました。

また、宿泊予約サイト9社に登録をしました。最近は宿泊施設の予約の方法が変わりインターネットでの予約が増えています。

今回作りましたゲストハウスのホームページに「宿のおやじ日記」と言う私のブログを作りました。

ブログの名前は「アメーバーブログ」と言うブログです。毎日、日日の出来事や過去の体験などを書いております。

今は、二十数年前に長崎から東京までの1500キロの旅日記を掲載しております。

いろんな人が見ておられる様です。このHPからリンクしておりますのでぜひ、私のブログも見てくださいませ。

また、ゲストハウスのHPもリンクしておりますのでそちらもよろしくお願いいたします。

2023年12月21日

今年も残り僅かになりました。

私達夫婦にとって今年もとても忙しい年でした。

1月にカラオケハウスアロマとこころ鍼灸院を元の岸川マッサージビルの二階でオープンしました。

岸川ビルは昭和54年 元の木造二階建ての建物を壊して、鉄筋四階建ての建物を私が作りました。

一年前まで孫が治療院をやっていましたが、転職をした為に閉鎖していました。

岸川ビルは四階建ての建物で一階と二階がテンポで三階と四階が住宅でした。とりあいず、二階にカラオケハウス アロマと こころ鍼灸院をオープンしました。

三年前まで、別な場所でカラオケハウスをやっていましたがコロナの影響で休んでいました。

オープンに合わせて今まで来て頂いていたカラオケのお客様に開店の電話をしましたが皆様、オープンを待っておられた様で以前のお客様が半分ぐらい戻ってこられました。

三年間、コロナの為に唄わなかったのでカラオケをやめた人もおられました。また、久しぶりに本業の鍼灸治療も少しづつお客様が来られる様になりました。

3月に成って久しぶりに歌作りをはじめようと思い作詞をしました。

初めは、一曲のつもりでしたが、次から次と出来て結局7曲の作品が出来5月1日に福岡のスタジオでレコーディングをしました。

その時に出来た作品で「涙と夢をみちずれに」と言う曲が来年1月16日にダムの通信カラオケに配信される事になりました。

4月23日 カラオケアロマにて第一回岸川美好歌謡選手権を開催しました。

内容は私の曲でダムの通信カラオケに入っている14曲の中から一曲を課題曲として唄います。また、自由曲として得意な曲を一曲唄います。

審査はダムの通信カラオケの採点機能を使って点数が最も高い人が優勝で 第三位まで表彰しました。優勝 準優勝 第三位の方まで岸川美好音楽事務所よりトロフィーが贈られました。

参加者は合計33名で福岡 長崎 佐賀と三つの県から参加されました。

優勝は長崎県の女性 準優勝は福岡県の男性 第三位は長崎県の女性の方で、みなさんとても素晴らしい歌でした。

ちなみに第二回(8月28日)の大会では、前回第三位の方が優勝されました。

第二回 岸川美好歌謡選手権は、8月28日に開催しました。

この日は体調を壊して入院していましたので参加する事は出来ませんでしたが嬉野医療センターの病室のベットの上でみなさんの歌を電話で聴いていました。

5月からゲストハウスの開業の準備に入りました。建物が、かなり傷んでいましたのでリホームが大変でした。

また、旅館営業の許可を貰うのがとても大変でした。でも、なんとか条件をクリアーして旅館営業の許可を貰う事が出来ました。

今回、旅館営業 飲食店営業 カラオケハウスの三つの営業許可を貰う事が出来ました。

また、お泊り頂くお客様の募集サイトの登録もとても大変でした。宿泊の申し込みのサイトは国内の旅行サイトと海外の旅行サイトがありそれぞれ、登録する方法が異なり大変でした。

10月1日になんとか、オープンはしたものの、まだまだ満足出来る様な数字は出ていません。

改めて、ビジネスの厳しさを感じております。

今、新しい宿泊サイトを見つけて申込をやっています。全ての登録が終わるのは来年2月ぐらいだと思います。

今年は、8月に体調を壊して20日間ぐらい入院をしました。でも、今は元気に成って来年も頑張る事ができそうです。

私も75歳に成りました。

今年ゲストハウスと言う新しいビジネスを始めました、最低でも20年はやりたいと思っております。

20年と言えば95歳になりますがそれまでは現役でやりたいと想っております。

時々、昔の友達に電話をかける事があります、以前、とても元気だった人がお亡くなりになったり病気になって元気がなくなっています。

やはり75歳からは後期高齢者と言われておりますがほんとだと実感しています。

私も、75歳になり体力はずいぶんなくなりましたが、でも、気持ちは20歳の頃と変わりません。

むしろ、若い時よりチャレンジする心は今の方が大きい様な気がしています。また、学ぶ心も若い頃より大きくなっています。

最近に成って感じた事は 人生で最も大切なものは「希望」ではないかと思っております。

例え、お金が無くても 病気になっても「希望」があれば生きていけると思います。

ですから、生きているかぎり現役で働こうと思っております。

そして、来年も今年以上のチャレンジをしていきます。

2023年11月21日

新しいホームページを作りました。

今年10月に嬉野温泉でゲストハウスとカラオケハウスを開業致しました。

嬉野温泉は九州でも指折りの温泉地で全国から沢山の観光客が来ています。

最近では海外からのインバウンドのお客様も増えています。

ゲストハウスは出来るだけ安くお泊り頂ける様に施設内を工夫したホテルで広いお部屋にいくつかのベットを入れて宿泊料金を安くしているホテルです。

宿泊の予約はエアービーと言う旅行サイトで、世界190か国とつながっています。

今年10月にゲストハウスアロマとカラオケアロマを知って頂く為に新しくホームページを作りました。

このホームページはゲストハウスの設備や内容の案内、及び宿泊予約やカラオケルームの貸し切りの申込が出来ます。

また、ゲストハウスやカラオケハウスの出来事、私 岸川美好の日日の活動、過去の出来事などを思いついたままに書いたブログを掲載しております。

タイトルは「やどのおやじ日記」と言うブログです。ぜひ、お時間のある時に読んでくださいませ。

ゲストハウスアロマのホームページは「ゲストハウス アロマ」で検索してくださいませ。

URLは https://guesthouse-aroma.com/ です。

2023年11月19日

今年の10月にゲストハウスをオープンしました。

エアービーと言う旅行サイトに登録しています。

エアービーは世界の民泊にお客様を紹介する世界一の旅行サイトです。

他にも同じようなサイトは沢山ありますが複数のサイトを使うとお客様がダブル場合がありますので私の所はエアービーだけにしています。

エアービーと言う会社は世界的には有名な会社ですが日本ではあまり知られていません。

嬉野温泉には30軒以上の旅館やホテルがありますがエアービーに登録しているのは私の所だけです。

今までに、エアービーの紹介で来られたお客様は国内から千葉県の男性の方と東京の男性の方、海外からはフランス メキシコ オーストラリア韓国からこられました。

皆様とても紳士的なお客様ばかりでした。

言葉は分かりませんが自動翻訳機(ポケトーク)のお陰で可なり突っ込んだ話も出来ます。

海外から来られたお客様は必ず長崎に観光に行かれておられます。

昨年西九州新幹線が開通して嬉野に新幹線の駅が出来ました。

新幹線に乗れば嬉野から長崎まで25分で行く事が出来とても長崎が近く成りました。

やはり、長崎は日本を代表する観光地の一つです。

嬉野は周囲に沢山の観光地があり嬉野に泊まって長崎 佐世保 唐津 有田 武雄 鹿島 太良と観光される方も沢山おられます。

今回、ゲストハウスを始めて本当に良かったと思っております。

なぜなら、いろんな国のお客様とお話が出来るからです。

自分の家にいて世界一周の旅をしているみたいでとても幸せです。

2023年10月10日

今年5月に7曲のレコーディングをしました。

曲名は (1)涙と夢をみちずれに (2)あいぼう (3)命 (4)愛は終わらない (5)道 (6)踊あかそう (7)ふたりの嬉野の7曲です。

(1)から(5)までは私岸川美好の作詞作曲です。歌も岸川美好が唄っています。

(6)と(7)は岸川美好が作詞をしましたが作曲は岸川洋子がしました。歌も岸川洋子が唄っています。

今回、「涙と夢をみちずれに」の曲がダムの通信カラオケに入る事になりました。おそらく、今年の12月ぐらいには入ると思います。

ダムの通信カラオケに入る野はとても難しくて困難です。

現在、日本の通信カラオケの主な会社はダムとジョイサウンドの二社があります。いずれも高いハードルがあります。

幸い、私の曲がダムに14曲 ジョイサウンドに13曲入っています。

今回、「涙と夢をみちずれに」がダムの通信カラオケに入る事が決まりとても喜んでおります。

これでダムの通信カラオケに15曲入りました。

歌のヒットはまず、通信カラオケに入る事です。通信カラオケに入らないとだれも歌ってくれません。

昔は、ラジオとか有線放送で歌がヒットしていましたが今は、カラオケで唄って頂かないと歌は絶対にヒットしません。

その為にも歌い手さんは通信カラオケに入れてほしいと願っております。

メジャーの歌い手さんは新曲の発売と同時にカラオケに入るのですがローカル歌手の場合僅かな枠を全国で取り合っており、中々入れて貰えません。

今まで、ダムの通信カラオケに15曲も入ったのは奇跡と思います。

2023年10月5日

早く新幹線を繋いでほしい

昨年9月に西九州新幹線が開通しました。
そして、嬉野にも新幹線の駅が出来ました。

今回出来た新幹線は佐賀県の武雄温泉から長崎県の長崎駅までの66キロで日本で最も短い新幹線です。

途中 嬉野温泉駅 大村駅 諫早駅 終点の長崎駅までで約25分間です。

当初は佐賀県の新鳥栖と武雄温泉の間は軌間可変電車(フリーゲージトレイン)で、乗り換えなしで行ける予定でしたが列車の構造的な理由で出来なくなり、現在新鳥栖と武雄温泉の間が新幹線が繋がっていません。

その為に、関東関西方面から長崎に行くには博多で特急に乗り換えて武雄温泉駅から西九州新幹線に乗り換えて行くしかありません。

確かに、博多長崎間の乗車時間は少し短縮しましたが途中武雄温泉で乗り換えなくてはならず不便に成りました。

折角出来た嬉野温泉駅も武雄駅まで約5分そこから博多行きの特急に乗り換えなければなりません。

しかも嬉野と武雄の間が短い為に嬉野温泉に止まる列車が少なく1時間に一本しか止まりません。

早く、新鳥栖と武雄間を繋いでほしいのですがなかなか話は進みません。

今、新鳥栖と武雄間を繋ぐコースが三つあり佐賀駅を通るコースと佐賀空港を通るコースそして、佐賀の南側を通るコースが検討されています。

どちらを通ってもいいのですが早く新鳥栖と武雄間を繋いでほしいと思っております。

なぜなら、嬉野は観光の町です。関東関西方面から乗り換えなしで、これたら、嬉野は発展すると思います。

嬉野には、30軒以上の旅館やホテルがありいずれのホテルも素晴らしいホテルです。

ホテルに沢山のお客様が来てくださると嬉野の財政も豊になり、そこで働く人の仕事も増えて雇用にもつながります。

そして、嬉野市の人口も増えて来ます。

嬉野の将来を考えると早く新鳥栖と武雄を新幹線で繋いでほしいと思います。

新鳥栖と武雄を新幹線でつなぐには、佐賀県の負担が1000億円以上かかるそうです。

でも、将来の為にも、絶対につながないといけないと思います。

2023年9月30日

カラオケ営業の許可について

今まで、カラオケの営業をしていましたが、今回 ゲストハウスの開業によって消防所の立ち入り検査があり、特別なコンセントを付けないといけないといわれました。

火災がおきた時カラオケをやっていたら非常ベルの音が聴こえず逃げ遅れる可能性があるので火災報知器が鳴ったら自動的にカラオケの機会が止まる様にするコンセントです。

数年前にどこかでカラオケボックスの火事がありこの様な規則が出来たそうです。

何か事件や事故が起ると規制が厳しく成って事業主は設備投資にお金がかかるみたいです。

でも、人の命を守る為にはしかたないと思います。

2023年9月20日

今年の4月から民泊の開業の為に大変忙しい日が続きました。

特に、旅館の営業許可をもらうのが大変でした。

建物が旅館をする目的で作った建物では無く一般の住宅ですので用と変更が必要でこれが大きな障害でした。

でも、何とか乗り越えて8月18日に保健所の立ち入り検査があり営業許可が貰える様になりました。

少しほっとしたのでしょうか、8月20日急に胸が苦しく成り妻に言われて嬉野の医療センターに行きました。

いろんな検査をした結果肺炎と言われて緊急入院しました。

入院して三日間は胸が痛くてたまりませんでしたが治療のお陰で少しづつ痛みもとれて元気になりました。

実は、8月27日に私が主催している「第二回岸川美好歌謡選手権」がありましたのでなんとかそれまでに帰りたいと思っていましたが残念ながら帰る事が出来ませんでした。

でも、大会は参加者の皆様の協力で大成功でした。

翌28日の午後退院しました。妻が迎えに来てくれました。

この日は嬉しい事がもう一つありました。

それは、欲しくてほしくて成らなかった旅館営業の許可書が貰える日であったからです。

病院を出て家に帰らず、そのまま、武雄の保健所に許可書を貰いに行きました。

私にとって何よりの薬でした。

退院後はまだ身体が本調子では無く寝たり起きたりの日が続きました。

数日後また、胸が苦しくなって9月6日に再び嬉野の医療センターに緊急入院しました。

まだ、肺炎が完全に治っていなかった様です。

今回は、八日間の入院で9月13日に退院しました。

退院後数日間は元気がありませんでしたがようやく少し元気に成りました。

今回、二度の入院をして感じた事は日本の医療は素晴らしいと思いました。

そして、今の私共はとても幸せだと思いました。

入院中、病室で何かあればベットのナースコールをおせばすぐに看護婦さんが飛んで来てくれます。

24時間 夜中でもすぐに来てくれます。

こんなにめぐまれている日本は素晴らしい国と改めて感じました。

でも、今後10年先20年先にはたしてこの様なサービスを受ける事が出来るだろうかと思いました。

病人は増えて看護する人が少なくなったらこの様なサービスは無理ではないかと思いました。

その為にも出来るだけ病気にならない様にしないといけないと感じました。

8月28日

二つの営業許可を貰いました。

8月21日に飲食店の営業許可を貰いました。
8月28日に旅館営業の許可を貰いました。

いずれも保健所の管轄で特に旅館営業の許可を貰うのが大変でした。

民泊を始めるには旅館営業の許可が無いと営業出来ません。

以前は民泊をするのに許可など必要ありませんでしたがいろんな問題があり数年前に民泊の法律が出来てやりにくくなりました。

旅館業法には(1)ホテル旅館業 (2)簡易宿泊業 (3)住宅宿泊業の三つがありどれかの許可が無いと出来ません。

当初は岸川ビルの二階 三階 四階の三つのフロアーを使って行いたいと思っていましたがいろんな規制があり結局一階と二階でやる事になりました。

内容は二階に男性用のドミトリールームと女性用のどみとりルームを作りました。

一階は三人部屋の個室で一部屋だけあります。定員は18名です。

料金はお一人一泊4500円(税別)で予定しています。

まだ、オープンしていませんので果たしてどのくらいのお客様が来てくれるか全く見当がつきません。

お客様の募集はインターネットのサイト(エアービー)と言うサイトで世界190カ国から募集するそうです。

これからいろんな国の人と交流を持つ事が出来とても楽しみです。

8月27日

第二回岸川美好歌謡選手権を8月27日に開催しました。

当初は10月1日にやる予定でしたが、民泊の開業の為に一ヶ月早めて8月27日に行ないました。

参加者は21名で佐賀県と長崎県の歌好きの人が集まって行われました。

第一部は岸川美好歌謡選手権で第二部は岸川美好作品コンテストです。

岸川美好歌謡選手権は参加者に二曲歌って頂きます。

一曲は私の作品の中から一曲 もう一曲は自分の好きな歌を唄って頂き審査はダムの採点機能を使って行います。

二つの点数の合計の高い人が優勝です。

今回の優勝者は長崎県の青木ミツ子様 第二位は長崎県の野田和子様 第三位は長崎県の野田クミ子様でした。

第二部の岸川美好作品コンテストは私の作品の(春が来る)を課題曲として参加者全員が謡いました。

審査は参加者全員が審査委員で一番良かったと思った方に投票して頂きました。

結果は佐賀県の岡部純太郎様が優勝されました。

次回は12月17日日曜日に開催します。

次回の岸川美好作品コンテストの課題曲は(嬉野めぐりあい)です。

8月20日

8月20日 肺炎で嬉野の医療センターに緊急入院しました。

初めはコロナかと思っていましたが検査の結果肺炎と分かり入院しました。

熱が38.5度から下がらず胸が痛くとても苦しい思いをしました。

正直言ってこのまま死ぬのではないかと思いました。

ここ最近民泊事業の開業の準備でいそがしくて無理をしていたからです。

幸い早めの入院で元気に成り8月28日に退院する事が出来ました。

残念なのが第二回岸川美好歌謡選手権に参加が出来なかった事です。

電話で聴く事が出来て皆様の歌を聴きました。

大会の準備から進行まで参加者の皆様にお手伝いして頂き無事に終了する事が出来ました。

次回の大会には、元気で参加したいと思っております。

2023年7月28日

希望の灯りが見えました。

建築基準法の関係で旅館営業は断念していましたが一つの文章で旅館営業の灯りが見えました。

それは、平成18年に旅館営業の法律が変わり(200平米以下の建物は耐火構造にしなくても良い)と言う文章を見つけたからです。

但し、二階までの建物と書かれていました。

耐火構造にするには数千万以上の費用がかかる為に旅館営業をあきらめていましたがこの法律で出来る事に成りました。

当初は、ビルの二階と三階を客間にする予定でしたが、一階と二階を使う事にしました。

お客様を泊めるベットの数が少し減りましたが年間180日しか出来ない営業が365日出来る様に成りました。

住宅宿泊事業は年間180日しか出来ません。

しかもオーナーがその場所に住んでいなければ出来ませんので二日前に私達夫婦の住所を変更していました。

旅館業はオーナーがその場所に住まなくても良いので住所を変更する必要がなく、また、元の住所に戻しました。

当初は、一階が厨房 二階がラウンジと客室の予定でいましたが一階と二階しか使えないので一階と二階にベットを8代入れました。

結局、一階に3台 二階に5台と10台計18台のベットを入れました。

当初は23台の予定でしたが18台になり五台も減りましたが年間365日営業出来ればベットの数が減ってもOKです。

これから、旅館営業の許可を貰う為の準備に入ります。

おそらく、開業は一ヶ月後の9月の初めになるのではとおもっております。

2023年7月25日

大きな壁にあたりました。

今年の4月から計画しておりました民泊事業の開業で大きな壁がありました。

それは、旅館営業の許可を貰う作業です。

人を泊める事業には、(1)ホテル旅館業 (2)簡易宿舎業 (3)下宿業 (4)住宅宿泊事業 の四つがあります。

当初は簡易宿泊施設の営業許可を貰う為に準備をしていました。

ところが、簡易宿泊施設の許可を貰うには建物の改築が必要で工事費が数千万ぐらいかかると聴き断言しました。

そこで、方向を変えて住宅宿泊事業(民泊)の許可を貰う事にしました。

簡易宿舎と住宅宿泊事業の違いは簡易宿舎は年間に365日営業する事が出来ますが住宅宿泊事業は年間に180日しか出来ません。

また、簡易宿舎は家主がその場所に住まなくても良いのですが住宅宿泊事業の場合は家主が住んでいなければ許可が出ません。

しかも、お客様が泊まっている日は、家主は外出が出来ません。

どうしても用事が出来た時は最大で二時間だけ外出する事が出来ます。

家主が住まなくても良い方法はありますが、その時は施設の管理をしてくれる管理会社に頼まなくてはなりません。

管理会社に頼めば売上の20%以上手数料を取られます。

そこで、私達夫婦が住む事にしました。

簡易宿舎の営業許可と住宅宿泊事業の営業許可の違いは建物の内容が大きく左右します。

簡易宿舎の許可を貰うには建物を用途変更しなければなりません。用途変更とは建物が何の目的で建っているかと言う事です。

現在岸川ビルは住宅を目的として建てています。もし、簡易宿舎にするのであれば用途を旅館業に変更しなければなりません。

建物の用途変更をするには、建物を改築しなければなりません。建物の全体の壁を変えたり窓を変えたりしなければ許可が出ません。

消防法は旅館も住宅宿泊事業も同様にとても厳しい法律があります。

これから営業する為の道具はほぼ揃えましたが最後の難関の住宅宿泊事業の許可を貰う作業が残っております。

令和5年6月17日

民泊ビジネスへの挑戦

現在、新しいビジネスとして民泊の経営を始める事にしました。

民泊とは自宅や別荘などをホテル代わりに他人に貸して宿泊料金を頂くビジネスです。10年ぐらい前から、全国各地に出来てブームになりました。

ところが、コロナの影響で海外からのインバウンドのお客様が、日本に全く来なくなり民泊ビジネスがダメになりました。三年間続いたコロナも、少しづつおさまってきましたので以前から考えていました民泊ビジネスをやる事にしました。

場所は嬉野温泉のど真ん中の岸川ビルです。

昨年の12月までビルを解体しようと思っていましたが、解体費が1600万円もかかると聴きましたので解体を断念して使う事にしました。

そして、今年の1月にビルの二階にカラオケ アロマとこころ鍼灸院をオープンしました。このビルは、鉄筋四階建てのビルで昭和54年に私が建てました。

当初は、一階に社員さんの待機室 二階が鍼灸院と整骨院 三階 四階が住みやでした。四年前に、三階を全面的にリホームして貸家にしましたが入居者が夜逃をして空き家に成っていました。

今回、そのビルを使って民泊ビジネスをしようと思い4月からインターネットやユーチューブを見て勉強しました。民泊はホテルと同様に他人を泊めてお金を貰うビジネスですが、ホテルと違う点は、自炊が出来る様な設備が整っている事です。

今回、オープンする民泊の名前は「温泉付き貸別荘「嬉野湯けむり荘」と言う名前です。

三階のフロアーは一日一組で七名まで平日50000円 一人増えるごとに7000円加算されます。

広さは約100平米あり、和室が一部屋 洋室が二部屋あります。

洋室には、シングルベットが二台入っております。リビングは広めで約25畳あり大型テレビやソファー ダイニングテーブルなどあります。

また、自炊が出来る様にキッチンやガスコンロ 冷蔵庫 乾燥機付き洗濯機 炊事道具などあります。

お風呂は家庭用のお風呂ですが嬉野温泉のお湯を温泉会社から配湯してもらいます。嬉野温泉は日本三大美肌の湯でとても素晴らしい温泉です。温度は約85度あります。

二階のフロアーは半分がカラオケ店で半分が男性専用の宿泊施設にしました。その部屋に、シングルベットを10台置いて男性の方10名に泊まって頂きます。

こちらは、安く泊まりたい方の為に一泊相部屋でお一人3500円で泊まって頂きます。

民泊を始めるには、旅館営業の許可が必要です。旅館営業の許可を取るには、建物の基準や消防法をクリヤーしなければ営業が出来ません。

特に、消防設備を整えるのが大変でした。元々火災報知器や誘導灯など設置していましたが、40年も前の物で現在の基準にあわなくて全て新しい物に変えました。

費用は200万円以上かかりました。

また、温泉を使用する為に温泉の使用許可や水質検査の費用など思わぬ費用がかかりました。また、寝室のクーラー テレビ  冷蔵庫 洗濯機 ベットなどの備品を購入しました。

今回、民泊を始める為に約500万円以上の費用がかかりました。

宿泊の予約サイトは[エアービー&ビー]と言う民泊ビジネスを助ける会社で世界中から予約が入るシステムに成っています。今まで、何度も電話でアドバイスをして頂きました。とても親切な対応をして頂きました。

エアービーは世界190カ国以上の都市の民泊をあっせんする宿泊サイトで世界一の会社です。このエアービーのサイトに私共の施設の案内をしておくと世界中の方が見てくれて宿泊の予約が入ります。

代金の支払もエアービーが代行してくれますので、お金を扱う事が全くなく安心ですこちらの仕事はお客様が来られた時に部屋のカギをわたすだけです。

後は、翌日チェックアウトの時にカギを受け取るのと部屋の掃除だけです。掃除はスタッフの方にしてもらいます。

今回、貸し切りの部屋と男性専用の大部屋の開店ですが、時期を見て四階に女性専用の部屋も作りたいと思っております。

四階にも三部屋あり10名ぐらいは宿泊出来ます。

オープンは2023年8月の予定です。

これから、消防設備の工事や旅館営業の許可の申請などいろいろあり、とても忙しい日日が続くと思います。

今回、初めて民泊と言うビジネスに挑戦する事になりましたが、必ず成功すると信じております。

令和5年5月18日

新曲の吹き込みに行きました。

5月1日、福岡のファインサウンドと言うスタジオに新曲の吹き込みに行きました。

今回は、今年1月から4月までに作りました7曲の歌の吹き込みです。

曲名は、(1)あいぼう (2)涙と夢をみちずれに (3)命 (4)愛は終わらない (5)道 (6)踊あかそう (7)ふたりの嬉野の7曲です。

作詞は全て私が作りましたが作曲は(6)踊あかそうと(7)ふたりの嬉野は妻の洋子が作りました。

歌は(6)と(7)の二曲は洋子が謡いました。

当日は、昼12時から6時までの6時間で7曲の吹き込みでしたのでとてもあわただしい吹き込みでした。

通常は一日2曲が普通ですが、今回は7曲やりました。スタジオの担当者とは、顔なじみでスムースに吹き込みが完了しました。

5月18日に編集した作品が送っって来ました。

早速、自宅で「岸川美好デビュー25周年記念アルバム」の原版と「岸川洋子デビュー25周年記念アルバム」の2枚の原版を作りました。

岸川美好のCDには、今回作りました新曲5曲と2年前に作りました未発表の作品9曲を入れて14曲入りのCDを作りました。

岸川洋子のCDには今年作りました2曲と2年前に作りました未発表の作品とデビュー当時の3曲の15曲入りのアルバムを作りました。

本来なら、専門の業者にお願いしてCDを作るのですが業者に頼むと原価が高くしかも1000枚以上作らないと出来ません。

正直言って今の時代CDが売れる時代ではありません。ですから、今回は自宅で手作りで作りました。

通常お店で売られているCDはケースや印刷物の費用が高く2曲入りのCDでも1300円ぐらいします。アルバムなら3000円ぐらいします。

今回は、全て手作りでしたので原価を抑えて岸川美好のアルバム一枚500円 岸川洋子のアルバム 一枚500円 セットで1000円で販売する事にしました。

幸い、いつも来られておられるカラオケのお客様が買ってくださいました。

自宅で作れば注文があった時に作りますので在庫が残りません。買う人も安く買えるし、私達も在庫が残りませんので良かったと思っております。

5月16日 長崎県のラジオ ハッピーFNに電話で出演しました。

5月16日 昼12時5分から長崎県の歌手「大地あきおさん」のラジオ番組に、電話で出演させて頂きました。

内容は私の今までの活動の紹介や私の新曲の案内などです。

最後に、今一番、私が力を入れている曲「春が来る」をかけて頂きました。

ラジオは車に乗る人はよく聞いておられます。今回も、ラジオを通じて私の歌を多くの人に聞いて頂き本当に良かったと思います。

今回、私をラジオに出演させてくださいました長崎県の演歌歌手の「大地あきお様」に心から感謝いたしております。

ありがとうございました。

5月8日

5月8日長崎県の西海市のカラオケ ひばりに行きました。

今回は、私の歌の認定書をあげる為に行きました。

カラオケ ひばりでは、お店のママさんが私の歌を気に行って頂きお客様に私の歌のPRをしてくださっています。

お陰で、4月の岸川美好歌謡選手権にも11名の方が参加してくださいました。

今回、4名の方に岸川音楽事務所より歌の認定書を贈りました。

平田富江様 山崎久美子様 川口克磨様 松尾イネ子様の四名の方です。

皆様、熱心に練習された様で正確に唄っておられ素晴らしい歌でした。

歌い手として、作詞家として一番嬉しいのが自分の作品を他人の方が歌ってくださる事です。

今までに、歌の認定書を贈った方は、4名で今回4名の方に贈りましたので8名の方が認定されました。

これからも、いろんな地区のいろんな方が私の歌を唄ってくださり、歌の認定者が増えていくと思います。

2023年4月23日

第一回岸川美好歌謡選手権を4月23日 カラオケ アロマ(嬉野市)で開催致しました。

この大会は、歌のコンテストで課題曲と自由曲の二曲を唄って上位三名を決める大会です。

課題曲は私 岸川美好の作品でダムの通信カラオケに入っている14曲の中の一曲を唄って貰います。

自由曲は、自分の好きな曲. 得意な曲を唄って頂きます。

審査は、ダムのカラオケの採点機能を使って課題曲と自由曲の点数の合計で最も高い人が優勝となります。

参加者は33名で佐賀県 長崎県 福岡県の三つの県から参加して頂きました。

今回、優勝された方は 長崎県の田中豊子様 順優勝は福岡県の桜井雄二様 第三位は長崎県の青木ミツ子様 皆様素晴らしい歌唱でした。

今回、特別賞として5名の方に優秀歌唱賞をおわたししました。

優秀歌唱賞を受賞された方は 佐賀県の岡部純太郎様 宮崎八重子様 内田政人様 長崎県の野田和子様 福岡県の山下邦子様

優秀歌唱賞の審査の基準は岸川美好の耳で審査した方5名です。

この大会は今年1月に計劃をしました。

1月はカラオケ アロマの開店の月でお客様が来ない日が続きました。

当初、大会の参加者の目標を20名としていました。この20名と言う数字はとても厳しい数字でした。正直言って10名も集まるだろうかと不安な日が続きました。

なぜなら、この大会に出るには、私の作品の課題曲を唄わないといけないからです。自由曲だけなら人は集まりますが課題曲があるので少し厳しいと思いました。

今回、大きな支えに成りましたのが福岡県の山下邦子様と長崎県の中村三枝子様のお二人の協力があったからです。このお二人の方がいろんな方に呼びかけて頂き目標の20名を超えて30名以上の方が集まりました。

今回、このお二人に感謝条を贈りました。また、今回の大会の成功は参加者の方が手伝ってくださったからです。

司会 音響係 採点係 撮影係 弁当のお茶の係 駐車場の案内係といろんなお手伝いをして頂きました。皆様、楽しく手伝ってくださいました。

今回、第一部の課題曲と第二部の自由曲の間に私の新曲の発表会をしました。

今年の1月から7曲の作品が出来ました。

曲名は (1)あいぼう (2)涙と夢をみちずれに (3)命 (4)愛は終わらない (5)道 (6)踊あかそう (7)ふたりの嬉野の7曲です。

(1)から(5)までは岸川美好の歌です。(6)から(7)は岸川洋子の歌です。

今回時間の関係で岸川美好が(2)涙と夢をみちずれに (3)命の二曲を唄いました。岸川洋子が(6)踊あかそうを謡いました。

岸川洋子の歌では、多くの参加者の方が踊ってくださいました。

尚、この7曲のレコーディングは一週間後の5月1日に福岡のスタジオで行います。

その後ゲストの歌謡ショーを行いました。今回は、特別ゲストとしてキングレコードの神道あゆみ様に来て頂き神道あゆみ歌謡ショーをして頂きました。

また、神道あゆみ様より神道様のサイン入りの色紙とオリジナル曲のCDを参加者全員に配って頂きました。

皆様とても喜んで頂きました。

キングレコードの神道あゆみ様とは20年以上のお付き合いがあり今までに50カ所以上の福祉施設や老人施設に慰問に行きました。

神道様もコロナの影響でここ三年間ステージに立事が無くとても緊張したと言われておられましたが、以前と変わりなくとても素晴らしいステージでした。

今回初めての大会でしたが皆様喜んで頂き、多くの人から第二回もぜひ、やってくださいと嬉しいお言葉を頂きました。

参加者皆様の言葉に力を頂き第二回の歌謡選手権を今年の10月1日(日曜日)にカラオケ アロマにて開催致します。

次回は定員40名を目標にしております。

ぜひ、お近くの方は参加してくださいませ。

令和5年3月24日

4月23日の第一回岸川美好歌謡選手権「コンテスト」の参加者が想った以上に多く集まりました。

今年1月に、岸川美好歌謡選手権の開催を決めましたが正直言って参加者があつまるかどうか心配していました。

1月に、カラオケアロマをオープンしましたが、お客様の数は少なく誰も来ない日が続きました。大会の目標人数は20名でしたがとうてい20名集まるとは思いませんでした。

ところが、2月に入り少しづつ以前来られていた人が戻って来て2月は誰も来ない日が一日でした。

大会の参加者も少しづつ増えて30名を超えました。

今回、福岡市から7名 長崎県の西海市から12名の申し込みがあり、想った以上の参加者があつまりました。

今回の大会はお一人二曲の歌を唄って頂くのですが、必ず一曲は私の歌を唄う規則です。ですから、いろんな地区で私のオリジナル曲が練習されています。

大会当日は素晴らしい歌が聴けると楽しみにしています。

令和5年3月20日

岸川ビルの防水工事をしました。

今年の3月13日から岸川ビルの防水工事を始めました。このビルは昭和54年に、自宅と治療院をする為に私が建てました。

20年前から雨漏りがして一度防水工事をしましたが、施工が悪く雨漏りが止まりませんでした。

今回、信頼出来る業者がありましたので防水工事をお願いしました。建物を守るには雨漏りを止める事が大事と思い思い切って防水工事をしました。

今度は、きっと大丈夫だと思っております。

令和5年3月18日

飲食店営業を取る為の設備が完成しました。

今年の1月にカラオケ アロマがオープンしました。偶に、ビールや焼酎など飲む人がいます。

所が、飲食店営業の許可の無い所ではビールや焼酎などのアルコール類を出す事が出来ませんので今回飲食店営業の許可を取る事にしました。

飲食店営業の許可を取る為には、いくつかの条件があります。

(1) 流しのシンクが二つある事
(2) シンクにお湯が出る事
(3) 冷蔵庫に外から見える温度計をつける事

以上が条件です。

一番困ったのがシンクにお湯を出す事でした。お湯を出すには、湯沸かし器が必要でガスの工事などしなければなりませんでした。

1月に工事を始めましたが設備関係の人がいそがしくてなかなか来てくれず3月の半ばまでかかりました。

今後は、保健所に検査に来てもらって許可を出してもらおうと思っております。今回、改めて感じた事は、水道などの設備関係の業者がいそがしくてなかなか、来てもらえない事を実感しました。

令和5年3月17日

鍼灸院が大繁盛しています。

1月1日に元の岸川鍼灸院の二階でカラオケ屋さんをオープンしました。

そして、鍼灸院を開業しました。鍼灸院の名前は岸川鍼灸院では無く「こころ鍼灸院」としました。

正直言って鍼灸院の経営はあまり期待していませんでした。ですから治療院の看板も上げていません、チラシも作っていません。

ですから、一ヶ月に数名ぐらい来てくれれば良いと思っていました。ところが、予想外に多くの人が来て今では、カラオケのお客様の数とあまり変わらないぐらい繁盛しています。

1月は、患者さんが来られた日は、5日ぐらいでしたが2月からは、誰も来ない日は一日もありませんでした。

少ない日で一日 2名多いい日は8名ぐらい来られています。

カラオケと治療院を同じ所でやっているのはあまり無いと思います。勿論、治療を受けている人もカラオケが聴こえます。中には、治療とカラオケの両方されて行かれる方もおられます。

これから先益々治療の患者さんが増えて行くと思います。

令和5年3月13日

長崎県の西海市のカラオケ屋さんで私の歌が多く謡われていました。

今年、初めて長崎県西海市のカラオケひばりに行きました。カラオケひばりには、昨年7月に初めて行きました。

その後、9月 11月と二度行きました。今年は、嬉野市でのカラオケ店のオープンの為に忙しくてカラオケひばりに行く事が出来ませんでしたがようやく3月13日に行きました。

カラオケひばりには8名のお客様が来ておられ皆様私の歌を上手に唄っておられました。

今年の4月23日に嬉野で開催致します岸川美好歌謡選手権に出場する為に皆様私の歌を練習しておられました。

歌い手にとって一番嬉しいのは、自分の歌を他人が唄ってくれる事です。

4月のコンテストには長崎県から沢山の人が参加して頂けると思っております。

令和5年2月22日

今年二つの曲が出来ました。

一曲目は(あいぼう)と言う曲で今年の正月に作りました。二曲目は(涙と夢をみちずれに)と言う曲です。

いずれも夫婦演歌です。

編曲は「湯川 徹先生」でとても素晴らしい作品に成りました。

4月23日の第一回岸川美好歌謡選手権で披露しようと思っております。

令和5年2月18日

令和5年4月23日、カラオケ アロマにて第一回 岸川美好歌謡選手権を開催します。

内容は参加者全員に課題曲と自由曲の二曲を唄って頂きます。

課題曲は私 岸川美好の作品でダムの通信カラオケに配信されている12曲の中から一曲唄って頂きます。

自由曲は自分の得意な曲を唄って頂きます。

審査はダムの通信カラオケの採点機能を使って課題曲と自由曲の点数を合計して高い順に第三位まで表彰します。

本来であれば審査委員に審査をして貰うのが一番良いのですが、人が審査をするとえこひいきしたとか言われるので今回は、機械に審査してもらう事にしました。

機械の審査は必ずとも上手な人が点数が良いとは限りません。ですから、どなたが優勝するかまったく分かりません。

募集人数は20名としましたがはたして、何名の方が参加してくださるかまだ分かりません。

普通のコンテストなら課題曲がありませんので比較的多くの人が申し込まれるのですが今回は課題曲がありますので何人ぐらいの人が参加するか蓋を明けて見ないと分かりません。

希望は20名ぐらい集まれば良いと思っております。

エントリー料は、2000円(お弁当付き)にしました。

当日のスケジュールは午前11時30分 開場 午後1時 開演 午後6時終了の予定です。

前半は課題曲 後半は自由曲です。途中、私が今年作りました二つの曲を唄います。次に、ゲスト歌手に唄って頂きます。

今回は、私の友人で、キングレコードの神道あゆみ様に来て頂きます。神道あゆみ様は、とても素晴らしい歌を唄われる歌手でみなさんきっと喜んでくださると思います。

最後は、審査結果の発表、その後、表彰式を行います。今回、優勝 準優勝 第三位の方までトロフィーを贈ります

これから、準備などで忙しくなると思います。

令和5年2月15日

月刊し 歌の手帳に掲載されました。

私の作品(春が来る)が歌の月刊し(歌の手帳4月号)に掲載されました。

掲載のきっかけは、通信カラオケの会社「ジョイサウンド様」が歌の手帳の会社に紹介して頂き実現しました。

この月刊しは全国のカラオケ好きの方が見ているとの事でとてもラッキーでした。

2月15日に月刊 歌の手帳を出版社より10冊贈って来ました。各地の私の応援者の方に送って見て頂こうと思っております。

尚、今回紹介されました「春が来る」は1月29日に通信カラオケの会社 ジョイサウンドに配信されました。

また、近いうちに、通信カラオケのダムにも入る予定です。

この曲が多くの人に唄って頂ける事を心から願っております。

令和5年2月10日

今年1月から鍼灸院を開業しました。

10年以上休んでいました鍼灸の治療を今年の1月から始めました。場所はカラオケアロマと同じ岸川ビルの2階です。

治療院の名前は 岸川鍼灸院ではなく(こころ鍼灸院)としました。

治療は、歌より早く16歳の時からやっており今年で60年に成ります。今回、治療院を始めようと思ったのはカラオケ室の横に小さな部屋がありましたので治療院をやろうと決心しました。

勿論、大々的にやる気はありませんので看板も出していません。

こられた患者さんが口コミで広めてくださるだけにしました。幸い、少しづつ患者さんが増えていっております。

10年間 鍼を触っていませんでしたので 思うように手が動きませんでしたが、ようやく元に戻りました。

今回、私が治療を始めたのは 今まで長い間休んでいました.治療がやりたくて始めました。

出来るだけ低料金で患者さんが続けてこれるように、したいと思っております。

尚、嬉野市には鍼灸治療を受けた場合 国民保険の人と高齢者の人に一回 900円の補助があり年間80回利用出来ます。

また、お隣の鹿島市 太良町にも同じ制度があり嬉野市以外の人も対象になります。

この様な制度を使えば一回の治療も安く出来継続して治療を行なう事が出来人助けが出来ると思います。

2023年1月19日

二年ぶりに新曲が出来ました。
1月1日に二年ぶりに詩を書きました。

作品名は 「あいぼう」と言う曲で、夫婦演歌です。

私の作品は比較的 夫婦演歌が多くいままでに、数十曲作りました。

詩が出来ますと次に曲作りに入ります。曲は、ギターを使って作曲します。

私は、音譜を書く事が出来ませんので、一小節づつICレコーダーに録音して曲を作ります。
曲が出来ましたら編曲の先生に録音した曲をメールで送りメロディーを作って頂きます。

メロディーが出来ましたら、イメージ曲をメールで送ってアレンジをしてもらいます。アレンジで一番大切なのがどんな作品にするかです。

私は、いろんな歌手のヒット曲を聴いて、その作品のイメージにあった曲を選んで作って貰います。

特に、演奏する楽器に拘り、一番イメージにあった楽器を使ってもらいます。

今までに、アレンジの先生に数十曲作って頂いたので私の好みもご存じですので、最近はアレンジもスムースに出来る様に成りました。

そして、1月19日に作品が完成しました。

これからは、私がしっかりと歌の練習をして、良い作品にしなければなりません。

2023年1月1日

カラオケ屋さんをオープンしました。

今年の1月1日に、新店舗にてカラオケ アロマをオープンしました。

場所は元の岸川鍼灸院の2fで治療室がカラオケ室、待合室が談話室と鍼灸の治療室にしました。

カラオケの部屋の広さは、約17坪あり、20名のお客様が入ってもゆっくり座れます。

中央に畳二枚分のステージがありそこで唄ってもらいます。

スピーカーは部屋の四隅に四つあり、ステージの上に二つ 後ろに重低音のスピーカーが左右にあり合計8コのスピーカーを付けました。

窓には防音用の扉を付けて音が外に漏れない様にしました。

場所は嬉野の中心部で左側は道路を挟んでスナック 後ろも スナック 右側は旅館で、いつも音楽が聴こえています。

この様な環境でもやはり音が漏れない方が良いと思い防音設備をしました。

この建物は昭和54年に私が以前の木造二階建てを崩して建てました。
建物は四階建てで一階が駐車場と小部屋 二階が治療室と待合室 三階と四階が住まいでした。

25年前まで、住んでいましたが、近くに自宅を立てて職場だけになりました。

一年前まで、孫が治療院をやっていましたが、他の仕事をやる様になった為にビルを閉鎖しました。

そして、一年間空き家になりました。家は、人が住まないと傷んできます。

今回、カラオケ屋さんを始めたのは儲ける為では無くビルを活かす為に始めました。

毎日窓を開けていろんな人が出入りする事で家も喜んでくれると思っております。建物も心があると思いますのできっと喜んでいると思います。

どこのカラオケ屋さんもコロナの流行の前から経営は厳しく廃業するお店が多くありました。

理由は、簡単です、「儲からないから」です。

カラオケの料金は平均 お一人 1000円です。一日のお客様の数は多いい所で十数人です。少ないお店は一日数名です。

売上も一日数千円ぐらいでカラオケのリース代も出ないのが現状です。店舗の家賃 人件費など支払えば毎月赤字に成ります。

カラオケの業界はカラオケボックスとカラオケ喫茶の二つがあり、私の所はカラオケ喫茶です。

カラオケボックスは比較的若い人が多く、仲間とグループで行く事が多いいです。

カラオケ喫茶は高齢者が多くみんなで唄うシステムです。年金ぐらしの人が多く利用料金の1000円も大きな負担に成っている様です。

カラオケは高齢者の健康づくりにとても効果があります。

カラオケに行く人は、あまり病院に行きません、薬もあまり飲みません。従って医療費も使いません。

もっと、高齢者がカラオケに行きやすい社会を作ってほしいと願っております。

2022年12月18日

今年(令和4年)も残り10日に成りました。

今年も、私にとって、とても忙しい年でした。

前半は、選挙活動(嬉野市長選)で街宣車で市内を走り回りました。

今回の、嬉野市長選は、前回の市長選に続いて、二度目の挑戦でした。結果は、残念ながら、落選しましたが自分自身100パーセント思いを市民の皆さまへ伝える事が出来、意義のある選挙選だったと思っております。

いつの日か、あの時岸川美好が言っていた通りに成った、あの時、岸川美好を当選させておけば良かったと言われる日が来ると思っております。

今回の選挙の敗北は、私が目が見えない事が、一番の原因でした。

多くの人は、目が見えない人は何も出来ないと思っている人が多いい様です。確かに、目が見えない事はマイナスですが心の目は見えています。

むしろ、健常者以上に見えているかも分かりません。政治とは、目に見える物だけを判断する物ではありません。

むしろ、見えない物を判断する事の方が、多いいと思います。残念ですが、まだまだ、この町では理解していただけないようです。

再び歌に

今年の後半は、歌の活動に戻りました。

平成11年、作曲家 市川昭介先生との出会いがあり、52歳でキングレコードより演歌歌手として歌手デビューしました。この間、150曲以上のオリジナル曲を作りました。

また、通信カラオケにも十数曲配信され、多くの人に唄って頂いています。昔は、歌は歌手の歌をテレビやラジオで聴くのが普通でしたが、今は聴くことよりも、唄うのが普通に成っています。

唄う場所は、カラオケ屋さんかスナックです。

カラオケ屋さんは二種類あり、カラオケボックスとカラオケ喫茶があります。カラオケボックスは、小さな部屋が沢山あり仲間で貸切るシステムです。カラオケ喫茶は、いろんな人が集まって、ステージで唄うシステムで、比較的高齢者が利用しています。

通信カラオケの会社は、第一興商(ダム)と、ジョイサウンドの二つの大手の会社があります。

メジャーな歌手の曲は、比較的通信カラオケに入りやすいのですが、私の様なローカル歌手の曲は中々入れてもらえません。

幸い、運が良く現在までに十数曲入れてもらいました。

歌のヒットは、通信カラオケに曲を入れて、歌好きの人に唄って貰わないと絶対にヒットはしません。

昔は、CDが沢山売れていましたが、今の時代CDは中々売れません。インターネットなどで、曲が買えたりユーチューブで歌が聴けるので中々CDが売れません。

私の所にも、今まで作ったCDが山の様にありました。なんとか、このCDを活かしたいと思い、県内外のカラオケ屋さん120ヵ所に送りました。いずれのカラオケ屋さんも、気持ちよく受け取って頂き、お客様に配ってくださいました。

その結果、いろんな地区のいろんな人が私の歌を憶えて唄って頂いています。CDは倉庫に直していても広がりません、それよりも無料でも配った方が生きる事を知りました。

きっといつの日か、花が開くと思います。

今年の最後は、カラオケ屋さんのオープンです。

11月20日、コロナの為に二年間休んでいましたカラオケ屋さんのオープンです。

今までのお店は、建物が老朽化しており、今年の7月に解体しました。新店舗は、嬉野温泉の中心部にある岸川ビルの二階です。

昨年8月に、長年鍼灸院をしていたビルを閉店して空き家に成っていました。このまま、閉鎖したままでは建物が傷むと思い建物を活かす為にカラオケ屋さんを開業する事にしました。

令和5年1月1日のオープンに向けて今準備をしています。

また、新たな出会いが生まれると楽しみにしています。

2022年11月22日

来年1月にカラオケ屋さんをオープンします。

2年前に、コロナの為に閉鎖していました、カラオケ アロマを来年1月にオープンします。場所は、岸川鍼灸院のビルの二階です。

以前のカラオケ屋さんの建物は今年の9月に解体して現在はさら地に成っております。以前のカラオケ屋さんは駐車場が無く車で来る人には不便でしたが今回オープンするお店は四台分の駐車スペースがあります。

また、元のカラオケ屋さんの所に、数台の駐車スペースがあり合計10台ぐらいの車をとめる事が出来ます。

今、1月1日のオープンに向けて準備をしております。

2022年11月21日

三名の方に表彰状を贈りました。

長崎県に、西海橋と言う有名な橋があります。その、西海橋を渡った先に、西海市と言う町があります。

その町に「ひばり」と言うカラオケ屋さんがあり、そこに、毎週月曜日に唄いに 来られている二組のお客様がおられます。お一人は、地元の方で、80歳代の男性の方です。もう一人の方は、佐世保市から来られておられる70歳代の女性の方です。

半年前に、その女性が、私のCDを持って行ってくださいました。そして、80歳代の男性の方が、私の歌を、気にいってくださりCDに入っている十数曲の歌を全て憶えて唄われていると聴きました。

そして、私にぜひ、唄いに来てほしいとの要望がありましたので、今年の7月に妻と二人で西海市のカラオケひばりに行きました。

そして、私の歌を全て憶えて唄ってくださる、80歳代の男性の歌を聴きました。とても、素晴らしい歌でした。

お店のママさんも、私の歌を気に行って頂き、私の歌を唄われておられました。お店のママさんもお客さんがいない時はいつも私の歌を唄っておられると言っておられました。

歌い手が、一番嬉しいのは自分の歌を、他人の人が唄ってくれる事です。

今年、11月7日にお店の開店二周年をするから、ぜひ、来てほしいとの案内を頂き妻と二人で行きました。

もちろん、何時ものメンバーはお揃いで、4時間私の歌のオンパレードでした。メジャーの歌手の歌は、テレビやラジオで、流れているので、多くの人の耳に入りヒット曲に成ります。

ところが、私の様な、ローカル歌手の歌い手の歌は、中々広がりません。でも、こうして、少しづつ唄ってくださる方が増えて行けば、きっといつかはヒット曲に成ると信じております

この私の歌を熱心に唄ってくださる三名の方に感謝の思いで11月21日に岸川みよし音楽事務所より表彰状を贈りました。

皆様とても喜んで頂きました。そして、これからもいい歌に成る様に頑張って練習をすると言われておられました。

2022年11月5日

目標の365曲のカバー曲を、吹き込みました。

カバー曲とは、自分のオリジナル曲では無く、他の歌手のヒット曲を唄う事をカバー曲と言います。自分のオリジナル曲は、どの曲も同じ様なリズムで、あまり変化がありません。

ところが、カバー曲は、いろんな人のリズムで新鮮な感じがします。

オリジナル曲の吹き込みは、専門のレコーディングスタジオで吹き込みますが、カバー曲の吹き込みは自宅の機材を使って吹き込みました。

レコーディングスタジオでの吹き込みは、いろいろと修正が出来ますが自宅での吹き込みは、一番から3番まで通しで吹き込みますので、途中で失敗すればまた、初めからやり直しをしなければならず、とても大変でした。

今年8月に、カバー曲の吹き込を開始しました。

当初は100曲を目標にしましたが、100曲を吹き込んだ時、まだ歌いたい曲があり、結局300曲を超えました。

これからもふやして行こうと思っております。

2022年10月28日

三年間、コロナの影響で嬉野温泉は観光客が大きく減少していました。

嬉野温泉には30軒以上のホテルがあり、三年前までとても賑わっていました。特に、東南アジアからのインバウンド客でどこのホテルも満員でした。

所が、三年前に日本と韓国の関係がおかしくなり、韓国からのお客様が全く来なくなりました。そして、コロナが流行して、国内からのお客様も少なくなり町の灯が完全に消えてしまいました。

こんな嬉野温泉でしたが、今、少しづつ活気が戻ってきました。

それは、10月から開始されました全国宿泊キャンペーンや9月23日に開通しました西九州新幹線(武雄温泉から長崎)です。

嬉野にも新幹線の駅が出来ました。政府も海外からのインバウンド客を積極的に迎える対策を取り始めており、嬉野温泉にも以前の様にインバンウドのお客様が来てくださると思います。

嬉野は昔から観光の町で観光客なしでは経って行きません。以前は70軒以上の旅館ホテルがあり多くの人が働いていました。

また、温泉街には、多くのお見上げの店やパチンコ屋さんなどあり昼でもゆかた姿のお客様が町を歩いていました。

夜は、どこの旅館の駐車場にも団体客を載せた大型バスがとまっていました。そして、旅館の宴会場では芸子さんの三味線や踊でとても賑わっていました。

旅館はお客を泊める場所ですが一番儲かるのがお酒を売る事です。お酒を売るには団体客が宴会をしてくれる事です。

また、団体客は一部屋にご六人泊める事が出来宿泊料金も増えます。お酒が売れて、宿泊客も増えて旅館は大儲けでした。

そんな良き、時代でした。

どこの旅館も施設を大きくすれば儲かると思い増築をしました。ところが、時代の変化で団体客が減り、多くが個人客に変わっていきました。

また、今まで男性客が中心で宴会がつきものでお酒が売れて売り上げが上がっていましたが、個人客に成って宴会が無くお酒が全く売れなくなりました。

しかも個人客ですので二人づれが多く一部屋に二人しか泊める事が出来ず宿泊料金もあまり上がりません。

この様な理由で過剰投資した旅館ホテルが経営不振でバタバタと倒産して半数に成りました。

現在の嬉野温泉の旅館の半数は地元の人の経営では無く、県外の会社が経営を行っています。

その為に同業者の団結は弱くそれぞれがそれぞれの利益だけを考えて経営をやっています。

嬉野市は、観光の町で、観光以外での産業があまりありません。どうしても観光関係の人に頑張ってもらわなければ嬉野の発展はありません。

観光関係以外に働く所も少なく若者が市外に出てしまい、ますます、人口が減ってしまいます。人口が減れば、町の活力も無くなり、町が衰退して行きます。

嬉野市を守る為にもこれから沢山の国内のお客様、また、インバウンドのお客様に来て頂ける様に市民が一体と成って頑張らなければいけないと思います。

嬉野の旅館はどこも設備もサービスもとても素晴らしい旅館です。料理もいろいろと工夫しておられとてもおいしいです。

私は三年前に嬉野のりょかんを十数件泊まりに行きました。自分自身が泊まって見ないと人に勧める事が出来ないと思ったからです。泊まって見て、改めて嬉野温泉の旅館の素晴らしさを感じました。

特に、料理が工夫されておりとてもおいしく感じました。昔の嬉野の旅館は団体客が中心で宴会が沢山ありました。

宴会はお酒とどんちゃん騒ぎが目的であまり料理にこだわりません、ですから、どこの旅館もあまり料理の工夫が無かったようです。

今回、泊まって見てどこの旅館も料理への工夫が出来ていた様な気がしました。

ぜひ、設備 料理 温泉の素晴らしい嬉野温泉に泊まりに来てくださいませ。

2022年9月29日

9月2日から筋力をつける為にリハプライド(嬉野市)に行っています。

リハプライドは昨年4月に嬉野市吉田に出来た施設で高齢者の筋力を増大する施設でドイツ製の運動器具を使用して運動させています。

以前から筋力が低下している気がしていましたので一週間に二回(月曜と金曜)の午後から言っています。内容は、ドイツ製の運動器具六種類を使って運動をします。

足の筋力を鍛える器具三台と腕の筋力を鍛える器具三台を使って行います。運動の時間は一日約2時間程度です。

利用している人は、高齢者の人ばかりで70歳以上です。一番高齢者の人は94歳の男性で昨年4月から毎週二回来ていると聴きました。

年を取ると足から弱ると聴いていますので筋力を付ける為に通って行こうと思っております。

幸い、送迎して頂けるので助かります。

スタッフも6名おられてみなさんとても親切で楽しい雰囲気で運動をさせて頂いております。

2022年9月23日

西九州新幹線の開通

本日2022年9月23日待望の西九州新幹線が開通しました。

佐賀県の武雄温泉駅から長崎県の長崎駅までの66キロの日本で一番短い新幹線です。途中 嬉野温泉駅 大村駅 諫早駅の三つの駅に止まります。

列車は六両編成で列車名は(かもめ)です。この列車の名前は今まで博多から長崎まで行って居た特急列車の名前です。

新幹線が出来るまでは博多から長崎まで約2時間かかっていましたが西九州新幹線の開通で約1時間30分に短縮されました。

新たに出来ました嬉野温泉駅は武雄温泉駅から約5分長崎まで約25分で行く事が出来ます。

武雄温泉駅は一日上下47本の列車が止まりますが嬉野温泉は一日25本しか止まりません。理由は、武雄温泉駅と嬉野温泉駅の距離が短すぎて嬉野温泉駅には半分の列車しか止まりません。

当初の予定では新鳥栖から長崎まで新幹線が繋がる予定でしたが、物理的な理由で新鳥栖から武雄温泉駅までの区間(55キロ)は、今まで通り特急列車で行くしかありません。

例えば大阪から長崎に行くには博多まで新幹線で行って博多から特急に乗り換えて武雄温泉駅で新幹線に乗り換て長崎に行くしかありません。

今回開通した西九州新幹線を100%活かすには新鳥栖と武雄を新幹線で繋ぐしかありません。

現在、山口佐賀県知事は新鳥栖と武雄を新幹線で繋ぐ事に難色をしめしています。理由は新鳥栖と武雄を新幹線で繋ぐ為には佐賀県の負担が660億円以上かかるからです。

今年の12月に佐賀県知事の選挙が行われます。

今回の選挙の結果で新鳥栖と武雄が新幹線でつながるかどうかが決まると思います。

新鳥栖と武雄を新幹線で繋がなければ今回開通した新幹線の意義は全くありません。新鳥栖と武雄を繋ぐコースは三つあり、佐賀駅を通るコース 高速道路の近くを通るコース 佐賀空港を通るコースが検討されています。

どのコースでも開通まで早くても10年以上はかかると思います。西九州地区の発展の為にぜひ、一日も早く新幹線を繋いでほしいと願っております。

2022年8月24日

カラオケアロマ(嬉野市本通り)を解体します。

7年前に土地 建物を購入してカラオケ屋さんを始めましたが コロナの為にカラオケに来る人が少なくなり三年間休業していました。

建物は70年以上たっておりかなり痛んでいましたので解体する事にしました。解体後は駐車場にします。

2022年8月17日

足腰を鍛える為に筋トレに行く事にしました。場所は嬉野市吉田の(リハプライド)でドイツ製の器具を使っての筋トレです。

当初は一週間に2回程度でいずれ週に5回ぐらい行きたいと思っております。

家にいるとあまり動かないので足腰が弱って歩けなくなるのではと思い決心しました。幸いリハプライドの方が自宅まで送迎してくださるのでとても助かります。

残りの人生、足腰を鍛えてチャレンジして行こうと思っております。

2022年8月3日

新しいCDが出来て来ました。このCDは現在通信カラオケに配信されている私のオリジナル曲14曲を収録したCDで、音の出る名刺です。

今回、2000枚作りました。これから出会った方に名刺変わりに配っていこうと思っております。

2022年7月28日

ふるさと山口での幼馴染との楽しい三日間。三年ぶりにふるさと山口県に帰りました。

一日目 7月26日 朝8時30分妻の運転で嬉野を出発しました。12時 湯田温泉に到着、早速二軒のカラオケ喫茶に行きました。

いずれのお店にもCDをを送っていましたので私の事は知って頂いていました。そして、自分のオリジナル曲数曲を歌いました。

夜は、盲学校時代の同級生の竹藤君と大阪から来てくれた杉谷君と居酒屋で楽しい食事をしました。二次会は湯田のスナックに行きました。

翌 27日は、ふるさとの宇部に行き墓参りをしました。午後1時宇部のカラオケ喫茶「ナンバーワン」に挨拶に行きました。オーナーが私の為にお客様を集めておいてくださり10曲ぐらい歌いました。

みなさんとても親切でふるさとの温もりを感じました。

夜は、宇部の幼馴染の沖永さん 松下さん 村田さんの三名と食事をしました。その後、スナック 楽で歌を唄いました。沖永さんは私のオリジナル曲「おまえに幸せを」を歌われました。とても心の入った素晴らしい歌でした。

翌日は、沖永ご夫妻と食事に行きおいしいうなぎをごちそうになりました。沖永さんありがとうございました。その後、宇部のカラオケ喫茶もんしろ蝶ニ歌いに行きました。みなさま暖かく迎えて頂きました。

今回、ふるさと 山口県でのPR活動はとても意義があり楽しい三日間でした。

22年7月13日

今、私の歌のCDを無料で配っています。
今まで作ったCDが事務所に二万枚以上眠っていました。
この眠っているCDを活かす為に各地のカラオケ喫茶に送りました。

本来なら販売したい所ですが今の時代CDが売れる時代ではありません。
以前から事務所に眠っているCDを見るたびにどうしようかと考えていました。

CDを売るにはいろんな所に行って歌って歌を聴いて頂き、気にいった人に買って頂く事に成ります。

今、コロナの影響もあり歌のキャンペーンにも行く事が出来ません。
この様な理由で今回、佐賀県 長崎県 福岡県 山口県 北海道(札幌)の120軒以上のカラオケ喫茶にCDを二万枚送りました。

そして、カラオケに来られたお客様に無料で配って頂いております。

時々、カラオケ喫茶でCDを貰ったお客様からCDありがとうございました、練習しますと嬉しい電話やファックスを頂きます。
幸い、私の歌が通信カラオケ(ダム) (ジョイサウンド)に十数曲入っていますので唄って頂けると思っております。

今回、CDを配った事できっと素晴らしいい歌の花が咲くのではないかと信じています。

22年7月1日

6月28日から7月1日までの四日間長崎県の平戸市に行きました。
平戸市は嬉野から車で約90分の距離です。

今回泊まったホテルは「平戸海上ホテル」です。

平戸海上ホテルには昭和52年に当時行なっていました岸川整骨院の職員を連れて泊まりに行った事があり。45年ぶりに行きました。

今回、二泊の予定でしたがとても親切で一日伸ばしました。
お部屋も料理も良く食事は毎日内容が異なり嬉しい三日間でした。

平戸市は、島で昔は船でしかいけませんでしたが、平戸大橋が出来て現在は車で行く事が出来ます。

嬉野は盆地で海を見る事ができませんので平戸の海水浴場に行き塩水に足をつけてみました。とても気持ちが良かったです。
この日はまだ海開きではありませんでしたので海水浴に来ている人も無く静かな海でした。

また近い内に行きたいと思っております。

22年6月10日

嬉野のスナックと旅館にCDを配りました。

昨年作りました「嬉野めぐりあい」と言う曲のCDを嬉野の35軒のスナックに配りました。この作品はいままでに無かった嬉野のラブソングでとても歌いやすい曲です。

作詞は私 岸川美好で、作曲は妻の洋子が初めて作りました。

幸い、通信カラオケに入れてもらいましたので嬉野の皆様に唄って頂きたいと思いPRの為にCDををお配りしました。

また、嬉野の旅館25軒に「おかみ」と言う曲のCDを配りました。

この作品は旅館のおかみさんの気持ちを書いた物で旅館に泊まりに来られたお客様におみあげにしてほしいとの思いで配りました。

また、嬉野のPRソング「嬉野夢咲音頭」など持って行きました。
このCDで少しでも嬉野の発展に役立てばいいなーと思っております。

2022年5月22日

西九州新幹線の開業の日が決まりました。

2022年9月23日、武雄温泉から長崎までの西九州新幹線が開通します。途中嬉野 大村 諫早の三つの駅が出来ます。

嬉野市にとって新幹線の駅が出来る事はとても良い事なのですが今のままならあまり期待できません。なぜなら、新鳥栖駅と武雄温泉駅の間が繋がっていないからです。

嬉野から、東京 大阪 福岡方面に乗り換えなしで行く事が出来ないからです。例え嬉野から新幹線に乗っても武雄温泉駅で特急に乗り換えないといけないからです。

今とまったく変わりはありません。嬉野から武雄駅まで新幹線で約5分ぐらいです。

おそらく嬉野から武雄まで新幹線に乗る人は誰もいないと思います。新鳥栖と武雄間が繋がれば新幹線の効果がありますが今のままでは全く効果はありません。嬉野市も武雄市も佐賀県知事に新鳥栖と武雄温泉間を繋いでほしいと要望していますが受け入れていただけない様です。

佐賀県の知事が受け入れない理由は新鳥栖と武雄が繋がっても佐賀県にとってあまりメリットが無いからです。県内でメリットのある地区は武雄と嬉野ぐらいで他の地区はあまりメリットがありません。

長崎県は新鳥栖と武雄間が繋がる事を強く要望しています。なぜなら、新鳥栖と武雄間が新幹線でつながれば長崎から福岡まで一時間以内で行く事ができます(現在2時間)

しかも、長崎から大阪まで、乗り換えなしで行く事が出来ます。

佐賀県知事は長崎県の為に佐賀県のお金を使って新鳥栖と武雄間の間をつながなくても良いと言って反対していますが、今回新鳥栖と武雄間を新幹線でつないでおかないと将来必ず後悔すると思います。

新鳥栖と武雄間を新幹線でつなぐ事は、長崎県の為だけでは無く佐賀県の発展にも大きな影響があります。

いずれ、佐賀県と長崎県が合併するかも分かりません。おそらく、将来、佐賀県と長崎県が合併すると思います。そして、熊本県と鹿児島県が合併し、宮崎県と大分県が合併すると思います。

いずれ、九州は福岡県と佐賀長崎の合併した県、熊本と鹿児島が合併した県、宮崎と大分が合併した県、そして沖縄県の五つの県に成ると思います。

西九州地区の発展の為にも今回、新鳥栖と武雄間の新幹線の開通を実現しなければ成りません。

今年の12月に佐賀県知事の選挙が行われます。

今回の佐賀県知事の選挙の最大の争点は新鳥栖と武雄間の新幹線をつなぐかつながないかが争点です。今の所、現役の知事以外の候補者は出ていませんが、おそらく、7月ぐらいには候補者が出ると思います。

県内の多くの地区では新鳥栖と武雄間の新幹線をつなぐ事にあまり関心は無い様ですが将来の佐賀県と長崎県にとっては絶対に開通させなければなりません。

今回、やっておかないと永久的に出来ないと思います、西九州地区の発展は新鳥栖と武雄を新幹線でつなぐ事しかありません。

今年の知事選で新幹線がつながるかつながらないかが決まると思います。例え、新幹線がつながる方向に向いても後10年はかかります。

今、嬉野市は嬉野温泉駅前の開発に大きなお金をかけています。今年、新幹線が開通しても嬉野温泉駅の乗降客はあまり無いと思います。

理由は簡単です。

武雄駅からも、長崎駅からも新幹線を使って嬉野に来る人が少ないからです。現在、嬉野から、福岡行と長崎行の高速バス(九州号)があります。どちらも乗り換えなしで目的地まで行く事が出来、しかも列車に比べて料金も格安です。

ですから、高い料金を出して新幹線に乗る人はあまりいないと思います。

この様な理由で新鳥栖と武雄温泉間が繋がるまでは嬉野温泉駅前の開発にはあまり積極的にならない方が良いと思います。


先日発表されました西九州新幹線の料金

● 嬉野-博多
列車(新幹線と特急列車の乗り継ぎ)
3710円
高速バス
1940円

● 嬉野-長崎
列車(新幹線)
2890円
高速バス 
1520円

●、嬉野- 武雄
列車(新幹線)
1150円
バス 
600円


この様に列車よりバスの方が料金が安く乗り換えなしで行く事が出来ますので新幹線の利用客は少ないと思います。

今回の西九州新幹線の開通は嬉野にとってあまり経済効果はないと思います。

令和4年4月6日

南から北へ
沖縄旅行

3月22日から26日までの四泊五日、妻と沖縄に行きました。

五年ぶりの沖縄旅行です。今まで年に一度は沖縄に行っていましたが、選挙などがあり、久しぶりの沖縄でした。

今回は、歌のPRをを目的に行きましたが残念ながら那覇のカラオケ喫茶がコロナの影響で営業をしていなくて行く事が出来ませんでした。

歌を広めるには、カラオケ喫茶が一番良い場所です。カラオケボックスは個室で他の人とのふれあいが無いので歌のPRは出来ません。

コロナの影響で多くのカラオケ喫茶が営業を休んでいます。コロナの前からどこのカラオケ喫茶も経営が苦しく閉店するお店が増えていました。

今回のコロナの影響で閉店するお店もかなり増えるのではないかと思います。


札幌旅行

4月2日から5日まで 三泊四日の予定で北海道の札幌に娘と孫二人を、連れて旅行に行きました。札幌も四年ぶりの旅行でした。

4月2日福岡空港14時発 札幌16時20分着 スカイマーク

新千歳空港からはJRで札幌駅に行きJR札幌駅の横の大丸デパートの6fの中華料理の店 「京花樓」で夕食を食べました。札幌に行った時は必ずこの店に行きます。

翌、3日は娘と孫はスキーに行きました。4月ですのでスキーは出来ないのではないかと思いましたが札幌の国際スキー場はやっていました。

孫(伊藤 心」11歳)は初めてのスキーでスキー教室に入り基礎から習いました。午後には滑れる様になったそうです。

私達夫婦は芒ののワイズと言う からおけ喫茶に唄いに行きました。
午前11時30分に到着したのですがすでに十数人のお客様がおられ唄っておられました。

カラオケワイズには、四年前に「悲しみの札幌」と言う歌のPRに札幌に行った時行きました。ワイズのママさんも私の事を憶えておられました。

悲しみの札幌と言う曲は、五年前に私が作詞した曲で私が歌っております。作曲は札幌の小松田先生にお願いしました。九州の私が作詞して北海道の先生が作曲して出来た曲です。詩の内容は夜の札幌を描いた作品でムード曲です。

前回(四年前)に行った時は通信カラオケには入っていませんでしたのでCDで歌いました。

歌をヒットさせるにはまず、多くの人に歌って貰うのが大切です。
その為には絶対に通信カラオケに入っていなければ誰も唄ってはくれません。

現在、主な通信カラオケの会社はダム(第一興商)とジョイサウンドの二つの会社があります。幸い、「悲しみの札幌」はどちらの会社にも入れてもらいました。

多くの歌い手さんは通信カラオケに入れてもらいたいと思っております。通信カラオケに自分の歌を入れて貰うのはとても困難で、特に、地方の歌手の曲はなかなか入れて貰えません。

幸い、私は運が良く十数曲入れて貰う事が出来ました。

今回、札幌のカラオケワイズで歌のPRが出来ましたので必ず札幌から火が付くのではないかと思っております。

今、昨年作りました「嬉野めぐりあい」と言う曲を嬉野で広めて行こうと思っております。文字通り嬉野の歌です。

この曲は私が作詞をして妻の洋子が作曲しました。妻にとって初めての作曲です。

妻にこの詩を見せた時自分に作曲をさせてほしいと言い、(はなうた)で作りました。妻は、楽器も全くできませんがはなうたでつくりました。テープレコーダーにメロディーを吹き込んでアレンジの先生に送りました。アレンジの先生は妻の はなうたに♪を付けて送ってくれました。

そして出来たのが嬉野めぐりあいと言う曲です。

幸い、通信カラオケのダムの会社に入れて貰いました。今、もう一つの通信カラオケの会社ジョイサウンドに入れてもらう様に交渉しています。

おそらく、今年の6月にはジョイサウンドにも入ると思います。ジョイサウンドに入りましたら嬉野のスナックに嬉野めぐりあいのPRをしようと思っております。

この曲は、ナイトクラブやスナックに会う作品です。きっと嬉野の代表曲に成ると思っております。

これからは、県内外のカラオケ屋さんに歌のPRに行こうと思っております。

2022年3月19日

大衆演劇

嬉野から約30分西に行きますと大村市(長崎県)があります。

大村市には、長崎空港や大村ボートがあります。その大村市の入り口に大衆演劇の芝居小屋(美山)があります。

美山では、毎日お芝居をやっております。

いろんな劇団が二か月間お芝居をやっています。毎日、芝居が変わり毎日来ておられる人も沢山おられます。芝居は昼1時から2時までの1時間、30分の休憩後、第二部の歌と踊のショーがあります。

今回、美山のオーナーに頼まれて第二部の歌謡ショーに出演させて頂きました。

久しぶりのステージで少し緊張しましたがお客さんの拍手がとても元気を貰いました。

美山には、通信カラオケ(ダム)があり、私のオリジナル曲が十数曲入っていますのでCDを持って行く必要がありませんでした。これからも、時々出演させてもらおうと思っております。

それから、次の楽しみは妻と二人で旅行に行く事です。

私の好きな所は、北海道と沖縄です。北の端と南の端です。

今、計画しているのが3月22日から26日までの四泊五日の沖縄の旅です。今回は、那覇のカラオケ喫茶に行って私の歌を広めて来たいと思っております。

4月は2日から三泊四日で北海道の札幌へ 18日から三泊四日で同じく札幌に歌のPRに行こうと思っております。

また、6月も沖縄に行く予定です。

今まで、選挙の為に歌の活動をお休みしていましたが。これからは歌の活動を中心にして行こうと思っております。

現在、通信カラオケに私の曲が十数曲入っています。どこに行っても自分のオリジナル曲を歌う事が出来ます。

現在日本には、第一興商(ダム)とジョイサウンドの二つの通信カラオケの会社がありますがオリジナル曲を入れてもらうのはとても困難です。特に、地方の歌い手の曲は高いハードルがあります。

私は、運が良くどちらの会社にも十数曲入れてもらう事が出来ました。本当にラッキーでした。

通信カラオケは一度入れば永久に入っていると言う事はありません。長期間誰も唄わなければ通信カラオケから除外されます。

その為には、いろんな人に歌ってもらわないと折角入れてもらっても無くなってしまいます。

旅行先で歌うのも勿論ですが近くのカラオケ屋さんでも唄っていこうと思っております。

人に歌ってもらうには、まず、自分が唄って歌を知ってもらう事が大切だと思っております。

岸川美好の作品は岸川美好と入れれば曲名が出てきます。ぜひ、私の曲を憶えて歌ってくださいませ。

歌を聴くには、このHPの岸川美好の作品集のユーチューブで聴く事ができますのでぜひ、ユーチューブを見てくださいませ。

2022年2月1日

嬉野市長選が終わり、次の目標に向かって進んで行きます。

次の目標は私の作品を一人でも多くの人に唄って頂く為の活動です。幸い、通信カラオケに私の作品が十数曲入っておりどこでも歌って頂く事が出来ます。

今まで、自分の店(カラオケ アロマ)でしか歌っていませんでした。その為に限られた人しか歌っていませんでした。

これからは、私自身がいろんなカラオケ屋さんに行って自分の歌を唄って歌を広めて行こうと思っております。

妻も協力してくれると言ってくれています。

2022年1月28日

夜逃の荷物をようやく出す事が出来ました。

2020年4月に、私が所有するアパートにいた人が荷物を置いたままで夜逃をしました。この方は東京の人で歌のつながりで私のアパートに入居させました。

本来であれば保証人や管理会社を取るのですが信用して保証人も取らずに入居させました。

当初は電話も通じていましたが電話も通じなくなりどうする事も出来ずに裁判所に明け渡しの訴訟を2021年9月に提出しました。

家賃も約三年分で200万以上貯まっており、その上借主の荷物を出す為に明け渡しの裁判の費用 執行官の費用 荷物を出す費用など100万以上がかかり家賃と合わせて300万以上がかかりました。

家主は夜逃をした人の荷物を勝手に処分する事が出来ない法律があります。

もし、勝手に処分していると後日夜逃をした人から荷物を返せと言われた時に弁償しなければならないと言う法律があります。

迷惑をかけた借主が法で守られて、迷惑をかけられた貸主が法で縛られているこの法律が納得いきません。

例えば、食堂に行って無銭飲食をしたら、警察に捕まり罪になります。ところが、借家の法律ではいくら家賃を踏み倒しても罪になりません。夜逃をした人の荷物も、勝ってに処分が出来ません。

今回、夜逃の荷物の事で日本の法律の矛盾を感じました。

2022年1月23日

1月16日 嬉野市長選が告示され 三名の候補者が立候補しました。

お一人は 現職の村上氏 もう一人は藤山氏 そして私 岸川美好の三名で前回の市長選と同じ顔ぶれでした。

結果は、現職の村上氏が当選しました。

残念ながら私 岸川美好は落選致しました。

次回の選挙にも立候補致しますのでよろしくお願い致します。

2022年1月1日

新年明けましておめでとうございます。

2022年の幕があきました。

今年は私にとりましてとても重要な年です。
それは、嬉野市長選が行なわれるからです。

前回の市長選は、告示の一週間前に立候補の決意をして立候補をしました。
結果は惨敗でした。

今回は、四年前から準備をしてまいりました。

私の選挙は組織や団体にはまったく頼らず市民お一人お一人に私の想いを伝える草の根選挙です。

特定の組織や団体に頼れば選挙は有利に戦う事が出来ますがしがらみが出来て市民の為の本当の政治が出来ないと思い組織や団体へのお願いには全く行きませんでした。

その為にとても厳しい選挙に成っております。でも、当選したら誰にも気を使わず市民の暮らしを優先した政治が出来ると思います。

選挙の告示は1月16日 投票日は1月23日です。

以下の文章は嬉野市に提出した嬉野市長選挙の広報紙の掲載分です。


嬉野市長候補 岸川みよし

私が、今回の嬉野市長選に立候補する最大の目的は、低迷している嬉野市を活気のある町にする為です。

また、今まで嬉野市が無駄な箱物や無駄な企画ばかりやって、嬉野の大切なお金をドブに捨ててきた後始末をするためです。

現在、嬉野市には130億円以上もの借金があり、今のやり方を続けていけば、将来嬉野市も財政破綻するかもわかりません。私は、市の無駄を徹底的に省いて、健全なる財政計画をたてます。

例え、どんなに嫌われても、どんなに悪口を言われても、嬉野市を守って見せます。

私には、特定の組織や団体とのしがらみは全くありません。
ですから、誰にも気を使わず、クリーンな政治を行なう事が出来ます。


岸川美好の公約

(1) 市長の報酬を大幅にカット致します。

市長給与を八割カット、ボーナス0円 退職金0円 これを断行します。
市長自らが身を切る改革を行なう事で、いろんな物を見直す事が出来ます。

(2)市民への行政サービスを充実させます。

1、市民全員に「燃えるごみ袋」を、年間40枚配ります。
 「財源は、ごみ袋に企業の広告を載せて、ごみ袋を安く作ります」

2、障がいのある人の「福祉タクシー券」を、2倍にします。

3、学童保育(放課後児童クラブ)の料金を値下げします。

(3)市の予算を見直し、徹底的に無駄を省きます。

特に無駄な箱物や無駄な企画をやめ、市民への行政サービスを充実させます。

(4)安心安全な町づくりをします。

毎年、台風や集中豪雨の時期に、塩田川の氾濫(はんらん)という危険にさらされます。塩田川の氾濫(はんらん)を食い止めるために、国や県に積極的に働きかけて、塩田の河川工事を急いで行います。

(5)嬉野の新庁舎の建設をやめさせます。

現在嬉野市には塩田町に立派な市役所があります。
現在の市役所で十分間に合います。新しく市役所を作る必要はありません。新しい市役所を作っても市民の暮らしは良くなりません。

(6)障害のある人や、高齢者の方に、優しい町づくりをします。

私が市長に成りましたら、日本初の、目の見えない市長が嬉野市から誕生する事に成り、嬉野市は、日本一、障害者に優しく、障害者に理解のある町として、全国から注目されます。

(7)若者が市内で働く事のできる様に、企業誘致を積極的に行ないます。

そして、人口減少を食い止めます。

(8)空き家対策・・・・・

嬉野市の空き家・アパートの空室を市が借りて、市営住宅にします。


(9)自らが嬉野市の広告塔となり、嬉野の観光客を増やします。

また、嬉野の特産品を全国にPRします。私には、歌があります、歌の力は思った以上にPR効果があります。


(10)めやす箱(市民の要望箱)を設置し、市民の貴重な意見を市政に取り入れます。

現在、嬉野市には、市民の声を聴くシステムがありません。いい事、悪い事、困っている事を、誰でも市長に直接伝える事が出来るよう「めやす箱」を設置し、市政に生かします。

令和3年12月16日
決戦まで後一ヶ月


本日12月16日嬉野市長選を戦う為の岸川美好の選挙事務所の事務所開きをしました。

事務所は嬉野町の本通りのカラオケアロマです。事務所開きには支援者が約20名来て頂きました。また、新聞社の方も数社来られました。

私に取りまして事務所開きは初めての体験でどうしてよいか分かりませんでしたが何とか無事に終わりました。

前回の市長選は告示の一週間前に立候補致しました。前回の市長選は前市長の谷口氏の引退により新人二人の選挙でした。

お一人は、前市長の谷口氏の後継者の村上氏で、もう一人は前回谷口氏と選挙戦を戦った藤山氏の一騎打ちの選挙でした。

いずれも嬉野の地元の人ではなく、村上氏は広島から来た人で、藤山氏は東京から来た人です。

私は、どなたか嬉野の地元の人が立候補してほしいと願っていましたが、告示の一週間前になってもどなたも立候補される様子がないのでたまりかねて私が立候補致しました。

勿論、妻は大反対でしたが、私の想いを理解してくれて応援をしてくれました。

選挙まで一週間しかありません。立候補する為の手続きやポスターなどの作成で選挙運動などまったく出来ませんでした。

市長選挙は立候補する為に 100万円の供託金が必要です。

この供託金は有効投票数の10%の表が無ければ没収されます。前回の有効投票数は17000表でしたので1700票を取らないと100万円は戻ってきません。

私が頂いた表は415票でしたので100万円の供託金は没収されました。

また、選挙カーの借り賃 ポスターの作製費など一定の表があれば公費で出るのですが私の場合は票宇が足らず全て自費でまかないました。

結局、一週間で約250万円を使いました。

1月21日、落選が決まった日の夜次の選挙に立候補する決心をしました。前回の選挙は、何の準備も何の知識もなくむちゃくちゃな立候補でした。選挙は始まる時に終わっていると言われています。

つまり告示までにどれだけ活動しているかで決まります。

私の場合選挙運動が全くできておらず落選して当然です。選挙が終わった翌日から四年先の市長選挙に向けてスタートしました。

まずは、嬉野市の現状を知る為に嬉野の市役所に質問状を何度も出しました。そして、少しづつ嬉野の現状と課題が見えてきました。次の選挙まで、四年間1460日もあります。毎日、後何日と指折り数えていました。

私にとって四年間はとても長く感じました。
そのゴールまで後30日に成りました。

今回も、市長選挙の候補者は前回と同じ村上氏と藤山氏そして私の三名です。

今年の11月11日に市長選挙と市議会議員の立候補説明会が塩田町の中央公民館であり私も出席しました。そこに来られていた候補者は市長候補3名 市議会議員の候補者は19名でした。

今回も市長選挙の候補者は地元の人は私だけでした。

前回も説明会はありましたが私は告示の一週間前の立候補でしたので説明会は初めての体験でした。当日は警察の人 郵便局の人 市の選挙管理委員会の人の説明があり立候補届の資料を頂きました。

今回は、7月6日に誰よりも早く私の事務所で立候補表明をしました。当日はテレビ局 新聞社 地元のケーブルテレビの方が取材に来られ私の想いを聴いてくださいました。

選挙に必要なポスター 選挙ビラ 公選はがきなどは7月に全て作りました。選挙カーは自家用車に取り外し出来るスピーカーを付けておりいつでも選挙が出来る様にしております。

また、100万円の供託金も11月29日に武雄の法務局に供託しておりますので準備は万全です。

肝心な選挙運動は他のお二人の候補者に敗けていると思います。私以外のお二人はいろんな組織や団体を中心に選挙運動をしておられます。運動員も沢山おられて幅広く支持を広げておられます。

私の選挙の戦い方は妻と二人での活動で組織や団体には全くお願いせず、市民お一人お一人に私の想いを伝えています。

この四年間で見えてきた嬉野市の課題など書いた印刷物をポスティングして市民の方に訴えてきました。

後は、市民の方がどの様に感じてくれるか、有権者が決める事です。

私が組織や団体を回らなかった最大の理由は、しがらみを作りたくなかったからです。

組織や団体 市民の有力者にお願いすればしがらみが出来て市民の為ではなく、特定の組織の為の政治に成ってしまうからあえて、組織や団体にお願いに行きませんでした。

ですから、選挙はとても厳しい選挙になります。

私は、特定の組織や団体にお願いして表を貰うつもりは全くありません。そんな事をすればしがらみが出来て市民の為の政治ではなく特定の組織や団体の為の政治になってしまうからです。

私は、自分の想いを書いた印刷物を二万枚市民の方に配りました。

後は、市民の方がどれだけ理解していただけるかです。
結果は2022年1月23日の夜決まります。

告示 2022年1月16日
投票日 1月23日

令和3年11月10日

嬉野市の明暗を決める嬉野市長選まで後二か月に成りました。

以下の文章は私、岸川美好が市民の方にぜひ伝えたい私の本音です。

本当は市民の皆様、お一人お一人と膝を突き合わせて私の本音を話したいのですが物理的に不可能ですのでここに書きます。


岸川みよし 嬉野市長選、立候補への思い

私、岸川美好は、来年1月に行なわれます嬉野市長選に立候補致します。

目的は、低迷している嬉野温泉を、以前の様な活気のある町にする為です。

私は、昭和44年、嬉野町に来ました。

当時の嬉野温泉は、旅館も60軒以上あり、どこの旅館も団体客で賑わっていました。ホテルの駐車場には、大型バスが何台も止まっていました。温泉街は、ゆかた姿のお客様のゲタの音で、夜遅くまで賑わっていました。本通り商店街も、シャッターの閉まった店は、一軒もありませんでした。

ところが、平成に入り、パブルがはじけて、それまでの嬉野温泉の賑わいが無くなりました。特に昨年2月からの新型コロナウイルスの影響で、観光事業が大きな影響を受けており、嬉野温泉は大変な事になっております。

私は今から30年前のあの活気のあった嬉野温泉に戻したいと思い、嬉野市長選に立候補を決意しました。

私は来年2月に74歳になります。

他の候補者に比べて、学歴も無く、しかも目は全く見えず、マイナスばかりの私です。

中には、「目の見えない者に、何が出来るか」と、言われる方もおられます。確かに、目が見えない事は不自由ではありますが、政治を行うにはあまり関係はありません。

なぜなら、政治の世界は、見える物を判断するより、むしろ見えない物を判断することが多いからです。

ですから、見える人も見えない人もあまり差はありません。

今の私の境遇は、嬉野市にとって、決してマイナスではないと思っております。むしろ「大きなプラス」だと思っております。

なぜなら、私が嬉野の市長になれば、日本で初の目の見えない市長が嬉野市から誕生する事になり、全国のテレビ 新聞 週刊誌 ラジオ等のマスコミ関係の人が取材に来てくださるからです。

すでに、いくつかのマスコミ関係者の方から取材の依頼があっております。

また、日本で初の、目の見えない市長を誕生させた嬉野市は、日本一、障害をもった人に優しく、障害を持った人に理解ある町として、全国的に有名になり、全国から多くの観光客が来てくださると思います。

その結果、嬉野温泉の宿泊施設や、市内の飲食店、スナック、おみやげ店も潤い、名物のお茶やお菓子、陶器など売れて大きな経済効果が生まれると思います。

今回の市長選挙は、私以外に、二名の方が立候補を予定されている様です。

いずれの候補者も素晴らしい方だとは思いますが、この役だけは、私以外の人は絶対に出来ません。

ここで少し考えて見てください。学歴があって、目の見える市長は、全国に五万といます。そんな人が嬉野の市長に成っても、何の話題にもなりません。

特別珍しいことではありませんから、マスコミは取り上げてはくれません。ところが、私が嬉野の市長になれば、タダでPRが出来、全国から沢山の観光客が来られると思います。

そして、必ず、何かがおこります。

以前、宮崎県の知事に「東国原英夫さん」が知事になった時、宮崎県が大きな話題に成り、全国から沢山の観光客が宮崎に行きました。そして、宮崎名物のマンゴーが、爆発的に売れました。

嬉野も、やり方次第で、以前の宮崎県の様な事がおこると思います。

町を売り出すには「客寄せパンダ」が必要です。新しい名所を作るには、大きなお金がかかります。客寄せパンダは一円もいりません。今回の選挙がラストチャンスです。

私は嬉野が大好きです。嬉野に恩返しがしたいのです。

ですから、自らが嬉野市の広告塔となり、嬉野の「客寄せパンダになる!」事を決意しました。

必ず、嬉野を昔の様な活気のある町にしてみせます。

私には、歌があります、全国に多くの支援者が応援してくれます。

どうか、嬉野を元気にするために、岸川みよしに応援をよろしくお願い申し上げます。

2021年10月2日

こんな馬鹿なやり方を誰が考えたのか
こんな馬鹿な制度を考える嬉野市なら嬉野市の将来はありません。

嬉野市は、2021年10月1日よりコロナ禍の生活支援や経済対策として、国のコロナ対策の地方創生臨時交付金「1億1801万円」を使って18歳以上の市民に嬉野温泉商店サービス会発行の「うれしかーど」5000円分を配ると発表しました。

当初は9月1日からの予定でしたが準備が間に合わず10月1日からに成りました。

今まで、ホテルや旅館、飲食店 特産品の販売などへの支援はありましたが、市民の為の支援は今回が初めてです。

議会でも何名かの議員が、コロナの為に市民の生活が苦しくなっているので市民への経済的支援をしてほしいとの要望をしていましたが中々実現しませんでした。

今回、ようやく市民への支援が実現して、本当に良かったと思いましたが、良く見るとあまり良い制度ではないと思いました。

なぜなら、この制度は市民の為よりもうれしカードの加盟店を応援する為の制度だからです。

私が、この制度が良くないと想う最大の理由は、まず、市内に利用出来るお店が少なすぎると言う事です。

現在うれしカードの加盟店は市内に36店舗しかありません。
今回、嬉野市は加盟店を100に増やすと言っています。

その為に加盟店に成るお店には、嬉野市がカードを読み取る機械を60台購入して無料で貸し出すと言っています。

カードを読み取る機械は、一台5万円かかります。

今回、嬉野市が60代購入してお店に貸し出しますので機械代だけで300万円もかかります。
新規に加入店になれば、機械は無償で借りる事は出来ますが保証料として3万円が必要です。

嬉野市は。10月までに加盟店を60軒増やして100にすると言っていますが新規に加盟店に成ったお店は30軒しかありません。

しかも機械の保証料として三年間3万円預かると言っていましたが新規に加入するお店が保証金を出さないといけないのなら加入しないと言って結局保証料は無しになりました。

理由は、今まで何十年も加盟店を募集していたのにも関わらず36店しか出来ていなかったからです。

加盟店になるには、入会金1万円と毎月会費として1100円が必要です。しかも、この機会を使う為には、ワイファイの環境が整っていなければ利用する事が出来ません。ワイファイの環境を整えるにも毎月4000円ぐらいはかかります。

この5000円の買い物券の利用が出来る期間は二年間です。

次に、利用出来る店が少ない為に市民にとっては折角5000円の買い物券を貰ってもあまりありがたくないのではないかと思います。

特に、塩田町で使えるお店は八軒しか無く嬉野町まで買い物にこなくてはなりません。

嬉野市にとってもカードを利用する為の機械の購入費300万円とカードを市民み配る郵送料300万円合わせて600万が無駄なお金です。

市民にとっても、100%嬉しい制度ではないのではないかと思います。

むしろ、一人に5000円の現金を配った方が良かったのではないかと思いました。現金ならそれぞれが必要な物に利用する事が出来ます。

食事をしても良し 買い物をしても良し 電気代に支払っても良し 子供の給食代にしてもよし 家賃に支払ってもよし どんな物にも使う事ができます。

しかもカードを読み取る機械代やカードを作る費用も不要です。

次に、今回、5000円の買い物券を貰える人が18歳以上だと言う事です。18歳以下の人にはくばらないと言う矛盾です。

いろんな地区で現金や買い物券を配っていますが、どこも子供には手厚い支援をしています。

嬉野市だけが子供には何も支援していません。
子育て世代には、とても厳しい政策です。

例え大人一人5000円の買い物券を配るより一人4500円にして市民全員に配る法が良いと思います。

その方が、予算も少なく市民も喜ぶのではないかと思います。

今回の制度は、本当に必要な所には、お金が行かず、特定の所だけにお金が行って、しかもカードの読み取る機を買う為に300万円もの無駄な費用を使っています。

誰が、この様な馬鹿な制度を考えたのか不思議でなりません。

2021年8月2日

1.選挙のポスターを廃止すれば経費を三割カット出来ます。

現在、四年ごとに行なわれています嬉野市長選、及び、市会議員選挙の費用が、約2500万円以上かかっています。

費用の中で最も大きいのが候補者のポスターの印刷代と、そのポスターを張る掲示板です。ポスターを見て投票先を決める人は約10%と言われています。

候補者のポスター代は嬉野市から一人につき約30万円の補助があります。一定の票が入れば全て公費から支払われます。

市長選挙及び市会議員選挙の候補者は約20名です。20名×30万=600万円です。

一回の選挙でポスター代 約600万円が、消えます。

また、ポスターを貼る掲示板も市内に120カ所以上あり、掲示板の設置費や撤去費も大きな費用がかかっています。選挙費用の3分の1は、ポスターにかかわる費用になっていると思います。候補者にとって、市内120カ所以上の掲示板にポスターを貼るのは、大変な作業です。

候補者のポスター(120枚)を廃止すれば選挙の費用の三割が節約出来ると思います。選挙が始まりましたら全ての世帯に候補者の紹介を書いた印刷物が配布されます。ポスターの必要性はあまり無いと思います。

ポスターの印刷代は一人の候補者に約30万円の補助が出ています。

私は2万円で作りました。印刷代の相場は2万から3万円が相場です。ところが、公費で30万円出る事を印刷業者が知っているので30万円請求します。候補者も高い事は知っていますが自分のフトコロが痛むわけではないので平気で支払っています。

印刷業者は、これほどボロイ仕事はありません。市にとってはこれほど無駄な事はありません。こんな、馬鹿げた話はまだまだ沢山あると思います。一つ一つ、市の無駄を省いていけば、嬉野市の財政も良くなっていくと思います。


2.「市報うれしの」の印刷業者を見直します。

嬉野市が毎月発行している「市報うれしの」の印刷代が年間657万4000円かかっています。月54万7833円です。

どこの印刷業者に頼んでいるかは分かりませんが、少し高いと思いました。

以前、私が「市報うれしの」と同じぐらいの内容の印刷物を作った時、約20万円で出来ました。現在嬉野市が頼んでいる印刷代と、私が頼んでいる印刷との値段の差が、一ヶ月で34万円あります。年間、約400万円も違います。

市民の貴重な税金を使うのだから、もっとシビヤに業者を選んで欲しいと思います。

今までの、つながりにとらわれず、より安い業者を選ぶのが市役所の職員の仕事だと思います。今までの、つながりのところが、「同じ値段にして下さるならば、それもよし?」より安くして下さるところを選ぶべきです。 (親方日の丸)は、やめましょう。これは氷山の一角です。

嬉野市が年間に印刷している印刷物は膨大な数だと思います。

小さな事ですが、とても大切な事です。


3.市役所の固定電話からかける電話料を、削減します。

現在、固定電話からかける通話料が年間350万円ぐらいかかっています。

役場からかけている電話は全て固定電話からかけているからです。固定電話から固定電話
にかけると3分間10円ですが、固定電話から携帯電話にかけると、3分間で約120円かかります。約12倍です。

現在、市民の多くは携帯電話を持っています。役場の各部署に携帯電話を置いて、携帯からかければ(掛け放題プラン)通話料が無料です。かなりの電話料が節約出来ると思います。ちょっとした事ですが市民の貴重な税金を守るためには大切な事です。


4.うれしの茶交流館「チャオシル」を閉館して赤字を減らします。

今、市民が最も関心を持っているのが、うれしの茶交流館、平成30年4月 にオープンした、チャオシルです。 この施設は、お茶の交流を目的にした施設ですが、嬉野市が大きなお金をかけて造っています。

内容は、

土地の取得費 5千534万5千円。
建築費 5億9千926万5千円。

合計 6億5千461万円、かかっています。

また、

建物以外の機材費は 239万3千円。
その他の費用が 738万円、

チャオシルの年間経費は(平成30年度)

人件費 1753万9千円 (担当職員数 8名)
光熱費  192万2千円。
その他の経費 1144万4千円

年間に、3千90万5千円 の費用がかかっています。

体験料や販売手数料等の歳入額は(平成30年度)

年間 528万6千円
年間 2千561万9千円

の 赤字。

※(村上市長が就任して最初に判断したのが、入館者が少ないので、入館者を増やすために、入館料を廃止。の施策を出しました。このことにより、31年からの赤字はもっとあるはずです)

チャオシルの建築費の借入金の残高(H30年)は3億2千302万3千円。

この尻ぬぐいは、全て嬉野市民から集めた税金でまかなわれています。この先、売り上げを伸ばす事は不可能です。全く魅力の無い施設です。

始めからこの施設の建築は失敗でした。赤字を減らすには閉館するしか方法はありません。

この様に嬉野市は市民の貴重な税金をドブに捨てています。

市の職員ももっとシビアに仕事をしてほしいと思います。

令和3年 7月6日

記者会見


7月6日昼1時から嬉野市長選の立候補表明の記者会見を嬉野市のカラオケアロマで行いました。

当日は、朝日新聞 毎日新聞 読売新聞 佐賀新聞 西日本新聞の新聞五社とNHK・サガテレビ・地元のケーブルテレビ二社が取材に来てくださいました。

記者会見では、来年1月に行なわれます、嬉野市長選の立候補の目的と公約を発表しました。

当日の夜、サガテレビのニュースで放送されました。新聞も翌日の朝刊に掲載されました。

これからが、選挙選の本当のスタートです。

まだ、私以外の候補者の姿は見えませんが現在の市長の村上氏はとうぜん立候補されると思います。三人目の候補者の姿はまだ見えません。

今回の市長選挙の争点は嬉野に新しい市役所を作るか作らないかが争点に成ると思います。

村上市長は、塩田町の市民の反対がある事を知りながら、強引に現在の嬉野市役所を解体してその場所に新しい市役所を創ると言っています。

また、現在の塩田町にある市役所を閉鎖して新しく出来る嬉野の市役所を本庁とする様です。塩田町に住む人は、現在地元にある市役所が無くなるので、困ると反対をしています。

平成18年に嬉野町と塩田町が合併して嬉野市が誕生しました。

その時の合併の条件は地名は「嬉野市」市役所は「塩田の役場」にすると決めました。

ところが僅か十数年しかたっていないのに、村上市長はその時の約束を無視して嬉野町に新しい市役所を作ると言っています。

新しい市役所を作れば約40億円ぐらいかかります。人道的にも経済的にも絶対にやめさせないといけないと思います。現在の嬉野市役所は古い建物で耐震条件にまっちしていません。

したがって解体する事は必要だと思います。

そして、現在の嬉野市役所の後ろにある三階建ての建物(嬉野図書館)を嬉野の市役所にすれば良いと思います。

この建物は一階が図書館 二階が貸し会場 三階がイベントホールでエレベーターもついています。この建物の一階と二階を市役所にして三階を図書館にすれば新しく市役所を創る必要はありません。

これから、嬉野市も人口減少に成って行きます。

財政も130億円以上の借金があります。これ以上借金を増やす事は絶対にやめさせなければ嬉野の将来はありません。

今回の嬉野市長選はとても大切です。

もし、村上市長が再選されでば確実に新しい市役所が出来ます。

私が当選すれば新しい市役所の建設を中止させます。

今回の嬉野市長選挙は新しい市役所を創るか、つくらないかの選択の選挙になります。

市民の方の判断にかかっています。

今、私の考えを書いた印刷物を嬉野の各家庭に配っています。また、宣伝カーで私が録音した市役所建設反対のメッセージを鳴らして市内を走っています。

後は市民の方がどれだけ理解してくださるかです。

これから先、どこの地区でも人口が減ってきます。いずれ、もう一度合併が行なわれます。そうなれば、嬉野に市役所が必要なくなります。

10年先20年先の事を考えて市長は判断するべきだと思います。

令和3年 6月18日

岸川美好のマニフェスト

(2022年1月 嬉野市長選)


(1) 市長給与8割カット。ボーナス0円。退職金0円。で、やります。

給与 月額15万3千6百円。4年間の報酬総額 737万2千8百円。で、やります。


(2) 市民全員のため、障害のある人のため、子どもたちのため、3つの支援をします。

1、市民全員に、燃えるごみ袋を、年間40枚配ります。

ごみ袋はどこの家庭でも必要な物です。財源は ごみ袋に企業の広告を載せて、ごみ袋の財源にします。将来は、燃えるごみ袋を、原則無料にしたいと思っております。

2、障害のある人の「福祉タクシー券」を、2倍にします。

現在嬉野市は、同福祉タクシー券を年間12枚(6000円分)を障害のある方に配っています。

県内で最も枚数の多い地域は、鳥栖市、基山町、上峰町、三養基町。年間36枚(2万4千円分)です。

嬉野市は県内で最も少ない地区で、年間12枚(6000円分)です。
武雄市は年間24枚(1万2千円分)

嬉野市も、せめて武雄市と同じ年間24枚にしたいと思っております。

3、学童保育(放課後児童クラブ)の料金が令和2年4月に5割、値上がりしました。

学童保育料は以前、1か月2000円でした。だが、現在は3000円に上がっています。子育て世帯には大きな負担になっています。ですから、元の料金に戻します。将来は無料にしたいと思って


(3) 特定の組織や団体のための政治では無く、しがらみの無いクリーンな政治を行います。


(4) 市のムダな経費を徹底的に省き、市の借金130億円を4年間で2割減らします。


(5) 嬉野市の新しい市役所の建設を、やめます。

平成18年、嬉野町と塩田町が合併しました。合併の条件は、地名は(嬉野市)。

市役所は塩田町の役場と決めました。ところが、村上市長は、その時の合併の条件を無視して、嬉野町に新しい市役所を建設すると言っています。人道的にも、財政的にも、新しい市役所の建設は、絶対にやめさせなければなりません。


(6) 嬉野市の選挙制度を見直し、選挙にかかる費用を、3割カットします。

1回の選挙にかかる費用が、2500万円以上もかかっています。費用の中で最も大きいのが候補者のポスターの印刷代と、そのポスターを貼る掲示板です。選挙にかかる費用を3割、削減します。  


(7) 嬉野市社会文化会館「リバティ」および、うれしの茶交流館「チャオシル」の経費を削減し、赤字を減らします。

いずれの施設も、年間2000万円以上の赤字を出しています。少し、工夫すれば赤字を半分にすることが出来ます。


(8) 市役所の固定電話からかける電話を、携帯電話からかけます。

現在、固定電話からかける通話料が年間350万円ぐらいかかっています。携帯電話からかければ通話料が無料です。かなりの節約になります。


(9) 安心安全な町づくりをします。

毎年、台風や集中豪雨の時期に、塩田川の氾濫(はんらん)という危険にさらされます。塩田川の氾濫(はんらん)をくい止めるために、国や県に積極的に働きかけて、塩田の河川工事を急いで行います。


(10) 農業従事者が希望を持てる制度を積極的に取り入れ、農家への支援を行ないます。

後継者が投げ出している、荒れ果てた茶畑や農地、田なども、良策を考えなければならない課題です。


(11) 若者が地元で働けるように、企業誘致を積極的に行います。

今、嬉野市がやっている企業誘致は、地元の人の雇用には全くつながってはいません。民間企業のテナントの応援にしかなっていません。真の企業誘致は、地元の人の雇用を増やすことです。


(12) 嬉野市の観光客を増やします。

嬉野市の主要産業は、名物の「お茶」と「陶器」、そして「温泉」の観光事業です。

市長自らが嬉野の広告塔となり、嬉野の特産品のお茶や陶器、お酒、お菓子などの販売促進、観光客を増やすため、全国に嬉野町・塩田町のPRをします。


(13) 長崎新幹線の開通に合わせて、長崎からの観光客を増やします。

嬉野に新幹線の駅が出来ても、新鳥栖と武雄間がつながっていません。武雄から新幹線で嬉野に来る人は、だれもいません。

従って、鳥栖と武雄間がつながるまでは、長崎に観光に来られた方をターゲットにして、「長崎新幹線駅から、一番近い温泉は、嬉野温泉?」として、売り込む。

大阪・東京方面からの、帰りのお客様に来ていただく方法しか、今のところ考えつきません。


(14) 嬉野の展望台に仮称(恋人たちの鐘)という鐘を作り、嬉野の新名所にします。

例えば、アメリカのグアムで一番人気のある観光スポット恋人岬の「恋人たちの鐘」のような物を造って、嬉野の新しい観光スポットにします。

きっと全国から若者が、たくさん来てくれると思います。


(15) 音楽好きの市民の方に呼びかけて、嬉野の歌づくりをします。

歌の力はとても大きいものがあります。過去にも、まったく無名の観光地が歌のおかげで観光客が増えたという話をよく聞きます。嬉野にも歌を作る人がたくさんいます。


(16) 嬉野の本通り商店街の空き家を利用して、観光客が楽しめる施設を作ります。

(17) 町近くの民間の駐車場を借りて、商店街を利用しやすいようにします。

(18) 嬉野市の空き家・アパートの空室を市が借りて、市営住宅にします。

(19) 市内にアパートが出来過ぎています。そのアパート建設に歯止めをかけます。

(20) めやす箱(市民の要望箱)を設置し、市民の皆さまの貴重な意見を市政に取り入れます。

令和3年 5月3日

私が嬉野市の市長に成りましたら、障害者の福祉タクシー券を二倍にします。

障害者の支援の一つで福祉タクシー券と言う制度があります。

この制度は、どこの市町村でもやっており、タクシー券の枚数は各市町村で決めています。

福祉タクシー券を貰える人は「肢体不自由 身体障害者手帳の1級 2級」 「視覚障がい 障害者手帳の1級 2級」「知的障がい者 療育手帳 の交付を受けた者」「精神障害者保健福祉手帳の1級 2級」の人が対象となりますが自動車税の免除を受けている人は、貰う事が出来ません。

タクシー券の枚数は市町村によって異なっています。

佐賀県の20の市町村のタクシー券の枚数と金額を調べてみました。

一番金額の多かったのが

年間36枚 23400円で、
鳥栖市 基山町 三養基町上峰町

次に 年間24枚 15600円
神崎市 玄海町

次に年間24枚 12000円
唐津市 吉野ヶ里町 武雄市 白石町

次に 年間20枚 10000円
佐賀市 小城市 多久市 伊万里市 有田町 大町町

最も少ないのが年間12枚 6000円
鹿島市 嬉野市 江北町 太良町です。

佐賀県以外の地区 東京は 42000円 大阪は 48000円 福岡市は 27500円です。

嬉野市は佐賀県の中でも最も低い地区です。

嬉野は、日本一障碍者に優しい町「バリアアフリーの町」と言っていますが現実には佐賀県でも最も障害者に対して支援が低い所です。

私は、鳥栖市と同じ年間36枚のタクシー券を障害者の方に配りたいのですが、それが無理ならせめて武雄氏と同じ年間24枚にしたいと思っております。

現在嬉野市は年間12枚です。

月に一回しかタクシーに乗る事ができません。しかも片道分しかありません。せめて往復乗れる様にしたいと思います。

その為には24枚のタクシー券が必要です。

私が嬉野市の市長に成りましたら障害者のタクシー券を二倍 年間24枚にします。

財源は無駄な箱物をやめればこのくらいのお金は出来るはずです。

岸川みよしは、嬉野市の為に、市民の為にこの約束だけは必ず実現します。

約束1

市長の報酬を大幅にカットします。

私が市長に成りましたら 給与八割カット(月額 153,600円) 
ボーナス0円 退職金0円でやります。

四年間の給与総額 7,372,800円

市長自らが身を切る改革を行なう事で、いろんな物を見直す事が出来ます。

現在の市長の 

給与 768,000円 
ボーナス 年間 2,534,400円 
退職金 15,360,000円

市長の四年間の報酬総額 62,361,600円

私との差は四年間で 54,988,800円あります。

特に、市長の退職金は四年ごとに15,360,000円も貰っています。

市長を四回もすれば、6000万以上の退職金が貰えます。政治を金儲けの道具にしてはいけません。


約束2

市民全員に、原則「燃えるごみの、ゴミ袋を無料で配ります」

たかがゴミ袋。されどゴミ袋。ゴミ袋を使わない家庭はありません。

少しでも、生活の応援になればと思い、燃えるゴミ袋を無料化します。

財源は 

1.ゴミ袋に企業の広告を載せます。
2.市長の報酬を削った4年分で、54,988,800円の資金が出来ます。
3.市役所の無駄な経費を徹底的に省いて資金を作ります。


約束3

嬉野の、新・市役所の建設をやめさせます。

平成18年、嬉野町と塩田町が合併して嬉野市が誕生しました。

地名は(嬉野市)。市役所は(塩田町の役場)を使う。これが、当時の合併の条件でした。

ところが、村上市長は、その時の合併の条件を無視して、嬉野町に新しい市役所を建設する。と、言っています。

塩田町の皆様は本庁を嬉野町に移すのは約束違反だと反対しておられます。

やはり、本庁は、塩田町に置いておくのが当然だと思います。

なぜなら、人道的にも、財政的にも、新しい市役所の建設は、絶対にやめさせなければなりません。新しい市役所を作れば、最低50億円以上の建設費がかかります。

嬉野市には現在130億円以上の借金があります。

今のやりかたを続けて行けば、将来、嬉野市は、財政破綻するかも分かりません。

2021年1月1日

新年明けましておめでとうございます。
2021年の幕が上がりました。

昨年は新型コロナウイルスの影響で、世界中がパニックになりました。そして、東京オリンピック パラリンピックを初めとして多くのイベントが中止になりました。

今年もコロナの勢いが止まらずいろんな影響が出るのではないかと心配しております。

私にとりまして、今年は人生最大の勝負の年に成ります。

それは、来年1月(2022年1月)に行われる嬉野市長選まで1年を切ったからです。前回の市長選では選挙の一週間前に立候補を決意して落選しました。

当然の結果です。落選が決まった日の夜、改めて次回の市長選挙に立候補する事を決めました。次回の選挙は必ず勝つと心に誓いました。

そして、嬉野の現状を徹底的に研究しました。

過去の市長の政策、現在の市長の政策を見て、このままでは嬉野市が将来大変な事に成ると想い、どうしても次回の選挙に当選して私が嬉野の市長にならなければこの町は絶対に救えないと確信致しました。

理由は簡単です。今までの市長は無駄な箱物ばかり作って市の借金を増やして来ました。また、特定の組織や団体を応援する為の政策ばかりで市民の為の政治には成っていませんでした。

今回、コロナ関係の政策でも特定の団体や企業の為の支援が中心で一般の市民への支援はまったくありませんでした。

私は、前回の選挙の後、嬉野市の現状を書いたチラシを一万枚嬉野の全所帯に配りました。幸い、多くの人から(嬉野の現状がわかった、ぜひ、頑張ってほしい)との嬉しい電話を頂きました。

今まで、私も含んで市民が市政に感心が少なかったと思います。
ですから、政治の中心にいる人がすきほうだいをしていたと思います。

政治家も悪いのですが、その政治家を監視していない市民にも大きな責任があると思います。

私は、次の選挙の公約で七つの約束をしています。

一つは税金の無駄使いをやめて、今ある借金を一円でも多く減らし健全なる嬉野市を作る事です。

もう一つは嬉野の主な産業は観光事業です。観光客を増やすには、町の広告塔が必要です。その広告塔は私が一番相応しいと思っています。

私は、地元嬉野を日本一住みやすい町にする為に全力で頑張っていきます。

私には、応援してくれる組織も団体もまったくありません。むしろ、目の見えない者が何が出来るかと否定的な考えを持った人の方が多いい様です。

確かに、目が見えない事はマイナスの様に見えます。でも、政治の世界は、見える物を判断する事よりもむしろ、見えない物を判断する事
が多いと思います。

ですから、目の見えない事は決してマイナスではありません。一番大切な事は町を想う心、市民に対する優しい心ではないかと思います。

選挙まで、あと一年に成りました。

2021年は私にとりましてとても大切な年になります。

今、私が嬉野市の将来を見つめて、思っている事、考えている事を24ページの印刷物にして嬉野市に配っております。

また、私の想いをビデオに収録して1000枚のDVDを作り、嬉野の市民の方に配っております。

また、この映像をユーチューブにもアップ致しました。

(岸川美好 嬉野)と書けばパソコンでもスマートホーンでも見る事が出来ます。また、このHPの岸川美好のあゆみの項目にもリンクしておりますので見て頂く事ができます。

嬉野市の将来の為に今年も全力で頑張っていきます。

ぜひ、岸川美好の嬉野への想いのユーチューブを見てくださいませ。

また、お知り合いの方にもご紹介くださいませ。

よろしくお願い致します。

2020年11月20日

嬉野の歌が三曲出来ました。

曲名は 好きよ・うれしの 嬉野めぐりあい 雨の嬉野ブルースの三曲です。

いずれの曲も作詞 岸川美好 作曲 妻の岸川洋子 歌も、岸川洋子が唄いました。

今回、妻にとりまして作曲は初めての体験でしたが思った以上に良い出来倍だったと思っております。

好きよ・うれしのは嬉野のイメージソングで市内の見どころや嬉野の特産物のお茶や陶器など紹介しています。

嬉野めぐりあいは、嬉野のラブソングで、嬉野の夜の雰囲気を表現した作品です。

雨の嬉野ブルースは 男女の出会い 別れを唄った歌で恋の歌です。

いずれの曲も今まで嬉野に無かった様な曲で皆様に喜んで頂けるのではないかと思っております。

2020年11月12日に福岡のレコーディングスタジオで三曲の吹き込みをしました。今年の12月には、ユーチューブにアップ致しますのでぜひ、嬉野の新曲を聴いてくださいませ。

今回、作りました作品は嬉野のイメージソングであり、嬉野のPR曲です。歌の力はとても大きく、思った以上にPR効果があります。今まで、歌のヒットで、全く無名の観光地が栄えた例は沢山あります。

嬉野は観光の町です、いろんな所からいろんな人に来て頂く事で町が賑やかになり嬉野が元気に成ります。

人を呼ぶ方法としていろんな方法があります。

例えば、何か珍しい施設を作ったりイベントをしたりして人を集めます。どちらも費用や、人材が必要になります。施設が大がかりであれば大きなお金がいります。また、イベントが大きければ大きいほど費用と人手がかかります。

ところが、歌は違います。

歌は一円もかけずに勝手に広がっていきます。これほど、効率の良い物はありません。

先日、日本の都道府県の人気ランキングが発表されました。

一位は北海道 二位は京都府 三位は沖縄県 四位は東京都 五位は神奈川県六位は大阪府でした。九州では、福岡県が九位 長崎県は 十一位でした。北海道は連続十三年間一位でした。

理由はいろいろあると思いますが人気のある都道府県は歌が多いい様な気がします。

北海道は札幌 函館 小樽 知床 釧路 網走の地名の入った歌が沢山あります。東京も 銀座 赤坂 六本木 渋谷 新宿 池袋など地名の入った歌があります。九州では博多 長崎などの地名の入った曲が沢山あります。

佐賀県のランキングは全国47都道府県で45番目でした。昨年は46番目でした。佐賀県は見る所も多くとても良い所です。

所が、人気が無いのはアピール力が低いからだと思います。

歌で考えた時、佐賀県の歌のヒット曲が少ないからではないかと思いました。私が今出来る事は嬉野の歌を一曲でも多く作って歌で佐賀県をPRする事ではないかと思っております。

今回、作りました三曲の曲が嬉野市の為になり、佐賀県の為に成る事を心から願っております。

いずれの曲も、ユーチューブにアップ致しますのでぜひ、憶えて歌ってくださいませ。

2020年10月20日

今、嬉野市に新しい市役所の建設計画が持ち上がっています。
現在、塩田町と嬉野町に二つの市役所があります。

平成18年、嬉野町と塩田町が合併して、嬉野市が誕生しました。その時に塩田町が本庁 嬉野町が支所となり二つの市役所が出来ました。

そして、どちらも同じ様な事をやっています。
人口2万6千人の小さな市に二つも市役所は不要との考えで一つにする計画もあります。当然だと思います。

そして、新しい市役所の建設計画が持ち上がっています。今、嬉野の支所を解体して、その場所に嬉野市の本庁を作る計画が進んでいる様です。

そして、現在の嬉野の本庁(塩田町)を出張所として残す計画です。塩田の市役所を残すのであれば今と同様に二つの市役所がある事になります。本庁が、嬉野町に変わっただけの事で、以前と何も変わってはいません。

2020年9月の議会である議員が質問されておられました。内容は、嬉野の本庁を塩田町から嬉野町へ移転させる計画の質問でした。

平成18年嬉野町と塩田町が合併する時に市の名前を嬉野市にする。その変わり市役所を塩田町に置くと言うのが合併の条件だったと言われておられました。

ところが、僅か十数年で当初の約束を破って嬉野町に本庁を移動させるのは塩田町の町民を裏切る事になると言っておられました。

私もその通りだと思います。

嬉野町に住んでいる人にとっては嬉野に本庁が出来る事は嬉しい事だと思います。でも、将来の嬉野市の事を真剣に考えれば新しく市役所を作るのはどうかと思います。

新庁舎の建設費ははっきりとは分かりませんが、おそらく、数十億円はかかると思います。例えば、お隣の武雄市役所ですが42億円かかっています。今年(2020年9月完成)の神崎市役所は50億円もかかっております。おそらく嬉野もそのくらいかかるのではないかと思います。

今でも、嬉野市は大きな借金をしております。その上に、新しい市役所を作ればもっと借金が増えていきます。新庁舎を作る為に、市の借金を増やすのは決して嬉野市の為にはなりません。

これから、益々人口減少が進んでいく嬉野です。塩田の市役所だけにして、嬉野の市役所を閉鎖するべきです。そうする事で施設の維持費や職員の数を減らす事が出来ます。

今まで、住民票 戸籍抄本 印鑑証明などの書類を貰うのに市役所に行っていましたが、これからは、オンラインのシステムが中心となり、住民票などの書類を貰うのに市役所に行かなくても近所のコンビニなどで貰える様になります。

この様なシステムに成れば市役所の職員数も少しは減らす事が出来ると思います。近くのコンビニで書類など貰えるのであれば、わざわざ市役所に行かなくて良いので、市役所がどこにあっても良いと思います。

後20年もすれば嬉野市が無くなると言われております。現在、嬉野市の人口は26000人を切っています。あと、20年もすれば、嬉野市の人口は、おそらく2万人を切ると思います。人口が減れば、行政の維持が出来なくなっていきます。

あと、20年以内にもう一度大きな合併が行われると思います。おそらく、嬉野市 鹿島市 太良町 武雄市 白石町 大町町あたりが合併して新しい市が誕生するのではないかと思います。そうなれば、どこの地区でも市役所は必要なくなります。

20年先の事を考えて政治の判断をしなければなりません。

私は、嬉野の市役所は塩田町の本庁だけにして嬉野の支所を廃止するべきだと思っております。絶対に、新しい庁舎を作ってはいけません。嬉野町の人は近くに新しく立派な市役所が出来るのを歓迎されるかも分かりませんが、新しく市役所を作ると言う事は嬉野市が大きな借金を抱える事になります。その借金が将来嬉野の市民の重荷になる事を理解してほしいと思います。

また、合併当時の嬉野町と塩田町の約束(塩田町に嬉野の本庁を置く)の約束を破る事になり、塩田町の人を裏切る事になります。

従って、今回の、嬉野市の新庁舎の建設は人道的にも経済的にも嬉野市にとって決して良くないと思います。

ですから、嬉野の新庁舎の建設はやめるべきです。

2020年9月20日

昨年4月、嬉野の人口減少を少しでもくいとめたいとの想いで(ふるさと嬉野に帰ろうよ)と言う曲を作りました。

歌い手さんを決める為に、6月嬉野のカラオケハウス アロマでオーデションをしました。
そして、オーデションで8名の方が選ばれました。
選ばれた8名は、佐賀県 長崎県福岡県の方で男性3名 女性5名の8名でした。

その後、歌のレッスンをして7月に吹き込みをしました。
8月に、8名の方の歌声の入ったCDが1500枚出来て来ました。
それぞれの、歌い手さんに100枚づつCDをプレゼントしました。
皆様大変喜んで頂き、友人や知り合いの方に配って頂きました。

また、残りのCDは、嬉野の市民の方へ 関東地区の嬉野の出身者の会へ 関西地区の嬉野の出身者の会へ送りました。
全国の、ラジオ局にも送り、ラジオでも放送して頂きました。
また、8名の歌声をユーチューブにアップして全国の方に聴いて頂いております。

通信カラオケにも入れて頂き、カラオケでも歌って頂いております。
2020年9月の嬉野の議会放送の中で、市の職員の方が言われておられましたが、今年は、19年ぶりに嬉野から出て行った人より、戻って来た人の方が多いいと言われておられました。
そして、過去四年間の転出者と転入者の数を言っておられました。

嬉野市の過去4年間の転出者と転入者の数
●2017年
転出者 957人
転入者 808人
- 149人

●2018年
転出者 969人
転入者 767人
- 207人

●2019年
転出者 970人
転入者 704人
- 266

●2020年
転出者 842人
転入者 853人
+ 11人

今年は嬉野から出て行った人よりも、嬉野に戻って来た人の方が11人多かったそうです。

昨年8月、いろんな人に協力して頂き(ふるさと嬉野に帰ろうよ)の歌が出来た年に19年ぶりに、出て行った人と戻って来た人の数字が逆転したのは偶然だったのでしょうか。
歌だけの効果ではないと思いますが、多少の影響があったのではないかと思っております。

この嬉しい現実を励みにして歌を通じて嬉野の人口減少をくいとめたいと思っております。そして、歌に協力して頂きました全ての皆様に心より感謝申し上げます。

本当に、ありがとうございました。

岸川美好

2020年8月25日

次の嬉野市長選挙まで、あと500日を切りました。
投票日は、2022年1月です。

前回の、市長選挙は、公示の一週間前に立候補の決意をしました。
選挙運動は、まったく、出来ませんでした。
私が頂いた票は415票で戦いにはなりませんでした。
落選が決まった日の夜(2018年1月21日)次の選挙の立候補を決意しました。

その日から、毎日指折り数えて、次の選挙まであと何日と数えていました。市長選挙は公示の日から投票日まで一週間しかありません。
一週間では何も出来ません。
ただ、選挙カーで市内を回るだけです。
選挙は、始まった時終わっていると言われています。
つまり、選挙が始まる前にどれだけ選挙の為の活動しているかで決まると言われております。

市長選挙は、一週間だけ選挙活動が出来ます。
この一週間だけは、有権者に投票をお願いする事が出来ます。
この期間以外に、投票をお願いしたら選挙違反になります。
多くの候補者は立候補を決めた日から政治活動と言う名目で選挙活動を始めます

そして、選挙が始まった時には、活動は終わっています。
ですから、選挙が始まった時は終わっていると言われています。
通常、立候補はどこかの組織や団体から推薦されて立候補するのが普通です。

ですから、スタートの時から応援をしてくれる人がいます。
また、組織や団体からのまとまった表もあります。
私の場合は、誰からも、立候補して欲しいとの声はありませんでした。

わたくし一人の想いで立候補しました。
ですから、応援をしてくれる組織も団体も無くまったく0からのスタートでした。

妻だけが、唯一の応援者です。
こんな環境での選挙ですから大変です。
2019年1月岸川美好後援会を作り佐賀県の選挙管理委員会に届けを出しました。

この届によって政治活動が出来る様になりました。
早速、後援会の活動として12枚の看板(私の顔写真と名前を入れた物)を市内に建てました。

2020年8月4日から25日までの20日間、私の思いを書いたリーフレットを、妻が朝5時から市内8000軒にポスティングをしてくれました。
一番熱い時期でとても大変だったと思います。

妻に心からお礼を言いたいと思っております。
また。妻の努力に答える為にも次回の選挙にはどうしても、当選しなければならないと思っております。

リーフレットはA4サイズで24ページの印刷物で、私の思いと現在の嬉野市の現状を書いた物です。
嬉野市の現状につきましては、2年前から嬉野の市役所にお尋ねしていました。

リーフレットは、何度も何度も書き換えて妻と二人で作りました。
今回、一万枚のリーフレットを作り、ポスティングで8000枚配りました。残り、2000枚はこれから出会った人に手渡しで配ろうと思っております。

今回、私の思いを書いたリーフレットのお陰で知らない人から励ましのお電話を沢山頂きました。
(岸川さんの思いに感動しました、ぜひ、頑張ってください、応援します)と嬉しい電話を頂きました。
改めて、人様の温もりを感じております。

また、私に嬉野の市長になってほしいと期待してくださる方がおられる事にとても嬉しく思っております。

泣いても笑っても後一年と四か月です。
結果はどうなるかは分かりませんが当選出来る事だけを信じて最後まで頑張って行きます。

2020年1月10日

待望の通信カラオケ(ダム)にふるさと嬉野に帰ろうよが配信されます。岸川美好の作品(ふるさと嬉野に帰ろうよ)が2020年2月4日に通信カラオケの、ダムに入ります。

昨年4月、嬉野市の人口減少を少しでも食い止めたいとの思いで(ふるさと嬉野に帰ろうよ)と言う歌を作りました。

嬉野市は2006年に嬉野町と塩田町が合併して嬉野市が誕生しました。当時は、3万人以上いましたが、年々人口が減少して現在は26000人を切りました。特に、若者が都会に出て行き、町の活気が無くなりました。

この作品は一人でも多くの人がふるさとを思い出して帰って来てほしいとの思いで私、岸川美好が作りました。

歌は、一般からオーデションを行い8名の方が合格し8人の人の歌声の入ったcdが2019年8月に出来ました。それぞれの歌い手さんに100枚のcdをプレゼントしました。みなさん、親しい人に配って頂きました。お陰で全国に嬉野の香りを発信する事が出来ました。

また、8名の人の歌をユーチューブにアップしましたので沢山の人に聴いて頂いています。この作品は、地方から都会に出ている人にふるさと嬉野を思い出して頂きふるさとに帰って来てほしいとの思いで作りました。

今、いずれの地区も若者が都会に出て地方は活力を失っています。やはり、地域の発展は若者の存在が大切です。この作品でふるさとを思い出して一人でも多くの人がふるさとに帰って来てくださる事を心より願っております。

こんな、私の思いを理解してくださり、通信カラオケのダムがカラオケで歌える様にしてくださいました。

配信日は2020年2月4日です。
ぜひ、この曲をカラオケで歌ってくださいませ。

詩の中で何度か(ふるさと嬉野に帰ろうよ)と言うフレーズがあります。この嬉野と言う地名を変えて、それぞれのふるさとの地名で歌って頂いても結構です。例えば、ふるさと青森に帰ろうよでもふるさと鹿児島に帰ろうよでも結構です。ぜひ、皆様のふるさとの地名に置き換えて歌ってくださいませ。

尚、同時に2018年4月に作りました(嬉野夢咲音頭)と(百歳ぐらいはあたりまえ)の二曲もダムの通信カラオケに入ります。嬉野夢咲音頭は嬉野市のイメージソングでとても元気になれる曲です。

また、百歳ぐらいはあたりまえと言う曲は人生百歳時代を迎えて人の生き方考え方をリアルに書いた作品でいろんな高齢者施設で歌って踊って頂いております。

いずれの曲もユーチューブにアップしていますのでユーチューブで聴いてくださいませ。

尚、嬉野夢咲音頭と百歳ぐらいはあたりまえは、通信カラオケのジョイサウンドに2018年8月に入っております。

こちらもよろしくお願い致します。

2019年12月16日

46曲のレコーディングが無事に終了致しました。
2019年8月より歌づくりを始めました。

今回は、50曲の作品を作ると目標を立てて作品の制作に入りました。
歌はまず、作詞をしてその後作曲をします。その後、専門の人にアレンジ(編曲)をして頂き、カラオケが出来て来ます。その後、歌の練習をしてスタジオでレコーディングをします。

今回は、男性の曲を18曲女性の曲を30曲 男女のデュエット曲を2曲作りました。

歌の吹き込みは男性の曲は、私 岸川美好 女性の曲は妻の岸川洋子が吹き込みました。デュエット曲は私と妻が吹き込みました。

第一回目の吹き込みは2019年11月13日2回目は11月14日 3回目は12月11日 4回目は12月12日 5回目は12月16日の五回で46曲を吹き込みました。正直言ってとても大変な作業でした。私は、妻へ歌の指導をしなければなりませんので全ての曲を覚えなくてはならず、とても大変でした。でも、何とか終了する事が出来ました。

当初は来年の春までかかるのではと思っていましたが、妻も頑張ってくれてなんとか年内に終了できてホットしております。

年が明ければまた、新たな目標があります。

2019年11月24日

長崎県の壱岐市に歌いに行って来ました。

2019年11月24日、長崎県の壱岐市の芦辺町に歌いに行きました。

実は、今年の夏に壱岐市の芦辺町の老人会の人が嬉野温泉に旅行にこられて私のカラオケアロマに歌いに来られました。

その時におみあげに昨年作りました私の曲(嬉野夢咲音頭)と(百歳ぐらいはあたりまえ)と言う曲のCDをみなさんにさしあげました。また、壱岐市で配ってくださいと言ってCDを150枚ぐらいさしあげました。

その後、壱岐氏の老人会の事務局の方から11月の(壱岐市芦辺町 高齢者生きがい健康フェスティバル)のイベントでこの曲を踊りたいので踊りのふりつけはありませんかとの電話を頂きました。まだ、踊りは出来ていませんとお答えしたところ、もし、良かったらこちらで踊りを作って踊りたいとの電話がありました。私はぜひ、作って踊ってくださいとお願い致しました。

それから、二か月後に踊りが出来たとの連絡を頂きました。尚、踊りのふりつけは壱岐市の芦辺町の中学校の女性の先生が作られたと聴きました。

その後、11月24日にイベントがあるのでその時に踊りますと報告がありました。歌は、もちろん、私の歌でCDを鳴らして踊るとの事でした。私は折角出来た踊りを盛り上げたいと思い壱岐市にボランティアで歌いに行く事を決めて主催者の方にお願い致しました。

そして、妻とお友達三人で壱岐市に行きました。壱岐市は人口29000人の島で飛行機か船でしか行く事ができません。私達は前日の11月23日の午後の飛行機で行きました。飛行機は40人乗りの小さなプロペラ機で長崎空港から約25分で壱岐空港に到着しました。空港には壱岐市の老人会の事務局長の西村様が迎えに来て下さいました。途中壱岐市の観光名所を案内して頂き宿泊旅館に案内して頂きました。

翌日、イベントに参加して百歳ぐらいはあたりまえの歌を歌いました。普通は私一人で歌うのですが今回は妻の洋子と二人で歌いました。部隊の中央では男女十数人の方が元気良く(百歳ぐらいはあたりまえ)を踊ってくださいました。

歌い終わると、私達夫婦に大きな花束と感謝のお言葉を頂き本当に来て良かったと思いました。帰りには、事務局の西村様が空港まで送ってくださいました。また、主催者の方から沢山のおみあげを頂きました。

今回、本当に行って良かったと思います。尚、これからもいろんなイベントの時に踊っていただけると聴きとても嬉しく思いました。

壱岐市の皆さま本当にありがとうございました。

動く看板と動かない看板で地域を元気づけます
歌で地域を活性化


昨年、6月に「嬉野夢咲音頭」と言う曲を作り、私 岸川美好が歌いました。

そして、三万枚のCDを作り、全国に無料で配りました。

今年8月「ふるさと嬉野に帰ろうよ」と言う曲を作り、8名の人に歌って頂きました。

いずれの曲も、嬉野を元気づける目的で作りました。

今、嬉野は、観光客の減少で元気を失っております。また、地元に働く場所が少ない為に、若者が県外に出て行き、合併当初3万人いた人口も、現在では26000人と4000人も減少しました。

その為に町は活力を失い、寂しい町に成っています。

そんな町に、元気に成ってほしいとの思いで、地元嬉野の歌を作りました。幸い、多くの人のお陰で、少しづつ歌が広がっております。

特に最近は、ユーチューブで聴く人が増えて、日本中でこの曲が嬉野のPRをしてくれています。

嬉野は温泉の町で、主な産業は観光事業です。観光と言えば、歴史 施設が中心ですが、新たに施設を作るには膨大のお金がかかります。

しかも、施設を作ると維持費がかかります。その点、歌はどこにでも行きます、一人歩きをしてくれます。過去に、全く無名であった所が歌の力で有名になって、観光客が沢山来たケースがあります。

私は、この歌で嬉野の地名を全国に伝えて、嬉野に一人でも多くの人に来て頂き、また、県外に出ている若者にユーターンしてもらいたいと思い、今回、歌のPRの為、二か所に看板を作りました。

一か所は、嬉野と武雄の中間で国道34号線の日の出城の信号の所、もう一つは、嬉野から鹿島に行く県道です。
どちらも、目につく所で、歌のPRに成ると思っております。

また、今年購入しました私の車(軽自動車)のボディーに、曲名を大きく書いた看板を取り付けました。

車は動きます、どこにでも行く事が出来、動く広告塔となります。

国道にある動かない看板と、車に付けている動く看板が、きっと大きな力となり、嬉野の為に成ると思います。

もし、この車に出会ったら手を振ってくださいませ。

ボディーには運転席側に(嬉野夢咲き音頭)と書いてあります。助手席側には(ふるさと嬉野に帰ろうよ)と書いてあります。また、後ろには二つの曲名が書いてあります。また、左右と後ろに、私の写真に(嬉野温泉に来てね)と書いたものを貼っていますので、見てくださいませ。

2019年8月
「ふるさと嬉野に帰ろうよ」と言う作品が完成致しました。


2019年2月「ふるさと嬉野に帰ろうよ」と言う作品を私 岸川美好が作詞作曲致しました。

この曲は、「地元嬉野市の人口減少を少しでもくい止めたい」との思いで作りました。

嬉野市は平成18年、嬉野町と塩田町が合併して嬉野市が誕生しました。合併当初は3万人を超えていましたが、年々人口が減り、今年2019年6月には26087人に 成りました。12年間で4000人も減少しました。理由は、市内に働く場所が少なく、また若者が県外に出て行ってしまったからです。

今、私が出来る事は、嬉野の歌を作り、都会に出ている若者達に、ふるさと嬉野を思い出して頂き、一人でも多くの人に嬉野にユーターンしてもらう事しかないと思い、この作品を作りました。

当初は、私自身がこの歌を歌って県外に出ている若者に呼びかけようと思いましたが、いろいろと考えた結果、歌い手さんをオーデションで選び、歌い手さんを決める事にしました。

2019年4月14日「ふるさと嬉野に帰ろうよ」の予選会をカラオケアロマで行いました。予選会には22名の方が参加されました。ソノ後、ぜひ、参加したいと言われる方がおられ追加で参加して頂きました。

2019年6月9日「ふるさと嬉野に帰ろうよ」のオーデションを行いました。そして、、8名の方が選ばれました。当初はお一人だけ選ぶ予定でしたが、それぞれ個性があり、最終的に8名の歌声を入れる事にしました。年齢も、30歳から80歳までの男女で、地域も福岡県 長崎県 佐賀県の三つの県の方が選ばれました。

その後、選ばれた8名の方のレッスンを行い、7月3日、嬉野市の岸川みよし音楽事務所で、全員のレコーディングをしました。今回、収録致しました歌い手さんは

三井所恵子 様 (福岡県 福岡市) 
原口和也 様 (長崎県 諫早市) 
田島ミヨ子 様 (長崎県 佐世保市) 
岡部純太郎 様 (佐賀県 太良町) 
久野沙織 様 (長崎県 佐世保市) 
太田秋見 様 (長崎県 波佐見町) 
宮崎八重子 様 (佐賀県 嬉野市) 
岸川洋子 様 (佐賀県 嬉野市)

CDの内容は、上記の8名の歌い手さんの歌と、カラオケを収録しました。今回、CDは1500枚作りました。

そして吹き込みをしてくださった歌い手さんに、100枚づつ、CDを進呈致しました。きっと、皆さま、いろんな所で、このCDを配って頂けると思っております。また、残りの700枚のCDは、県内外の、いろんな施設や、団体 マスコミ関係に配ります。

そして、いつの日か、ふるさと嬉野から県外に出ている若者に、この歌が届き、嬉野に帰って来てくださるのではないかと思っております。歌は、思わぬ所へ飛んで行きます。そして、一人歩きしてくれます。

私は、これからも地元嬉野の歌を1曲でも多く作りたいと思っております。そして、大好きな嬉野の役に立ちたいと思っております。

以下は8名の歌い手さんの歌をユーチューブにアップしておりますのでぜひ、聞いてくださいませ。

また、お知り合いの方にユーチューブの案内もお願い致します。

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